2015年09月30日

沖縄戦後70年(259)

沖縄戦後70年(259)
■プライス法案の早期成立要請決議
 (1959年12月24日 琉球政府立法院決議)

宛先 アメリカ合衆国大統領、アメリカ合衆国上院議長、アメリカ合衆国下院議長、アメリカ合衆国国防長官、琉球列島高等弁務官

琉球は、現在国家的財政運営をなさねばならない状態に置かれている。従って琉球政府の財政支出は、住民の負担能力を著しく不均衡で住民は文化国家としての社会保障制度に基づく当然の権利さえ享受できない状況である。

更にアメリカ合衆国軍基地に依存する経済は、生産と消費に著しい不均衡を来し、貿易収支は年々多額の赤字を示し、消費都市の繁栄に比して農村は疲弊し、住民の負担能力を以てしては到底政府財政を賄い得ない現状である。

今回アメリカ合衆国議会において琉球振興に資するためプライス法案が提出されたことに対し、われわれはその成立を期待している。この際アメリカ合衆国が施政権者としての責任を果たす一助とし且つ、諸法案が琉球の財政援助に対するすべてを意味するものでないとの理解のもとに早急に制定されることを強く要請する。

 1959年12月24日
  琉球政府立法院

* * *
■プライス法
1951年1月、プライス議員によって提案され、60年7月に大統領の署名を得て成立発効した米国の沖縄援助法。「琉球列島における経済的社会的発展を促進する法律」。
「Act to Ryukyu of economic and development in the Ryukyu Island」。    
「プライス沖縄援助法」「琉球経済援助法」とも呼ばれている。          

米国民政府の諸計画に対して、明確な法的根拠を与え、従来の授権法なしの援助支出に対して年間600万ドルを限度として援助すること、琉球政府の収入に関して明文化して現行制度に根拠を与えること、および高等弁務官に米国政府一般資金に関する法的根拠を与えることなどを主な内容としている。

600万ドルの授権限度額については、62年度に1,200万ドル、67年度に1,700万ドルに引き上げられた。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:05| 歴史の証言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月29日

沖縄戦後・70年(258)

沖縄戦後・70年(258)
〜琉球政府立法院の決議から〜
■ナイキ発射訓練取止めに関する要請決議
(1959年12月24日 琉球政府立法院決議)

宛先 アメリカ合衆国大統領、アメリカ合衆国国防長官、琉球列島高等弁務官

アメリカ合衆国軍隊は、沖縄全住民の反対にもかかわらず読谷村残波岬で八回にわたりナイキ・ハーキュリーズの発射訓練を行った、しかも危険はないとの現地軍の発表にもかかわらず実際は甘蔗畑が焼かれ、ブースターの破片は危険区域外の住民地区にも落下した。

それのみか12月12日の第七回に発射されたナイキが危険区域外において爆発するなど付近住民を極度に不安におとしいれている。

アメリカ合衆国軍隊のこのような発射訓練が行われることは冷戦から平和共存へと国際情勢が大きく前進を遂げつつある時、却ってその緩和を阻害する恐れがあるものと思料する。

よって、琉球政府立法院は、今後かかる発射訓練を行わないよう院議をもって強く要求する。

右決議する。
 1959年12月24日
  琉球政府立法院

* * * *
■ナイキ・ハーキュリーズ(Nike HercuLes)
1969年3月から沖縄に配備されている米国製の高高度地対空ミサイル。米陸軍第30砲兵団嘉手納、那覇、普天間やIRBMサイロ(メースB)を中心に沖縄本島8ヵ所に配備。

ミサイル基地をつくるために米軍当局は、ブルドーザーや装甲車を動員して強制的に土地を接収、政治・社会問題化した。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:02| 歴史の証言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月28日

沖縄戦後・70年(257)

沖縄戦後・70年(257)
〜琉球政府立法院の決議から〜
■対日平和条約発効前のアメリカ合衆国軍隊による損害の補償方要請決議
(1959年7月1日 琉球政府立法院決議)

宛先 琉球列島高等弁務官

1954年8月の終戦から1952年4月の対日平和条約発効までの7年間におけるアメリカ合衆国軍隊により蒙った琉球住民の人命及び財産等の損害については、日米両国政府共にその補償責任を回避し、今日に至るまで何ら適正な補償をなされていないのである。

財産上の損失面については、日本国政府より同情的な見舞金が支給されたにすぎず、最も重大な人権の根源をなす人命については、何らの補償もなされておらず、中には一家の大黒柱とも頼むべき者を失い、生活に困窮をきたしている遺族もある実情である。

戦争終結後14年、対日平和条約発効後7年を経過した今日なお、このような人道上の問題が未解決のまま放置されていることは、その問題が尊い生命と生活につながる財産の問題であるために住民の不満を招くおそれがあり、実に遺憾である。

よって琉球政府立法院は、以上の見地から琉球住民の福祉と安寧のため、アメリカ合衆国が統治権者として誠意をもって、速やかにこの損害補償の具体的解決を講じて貰うよう強く要請するものである。

右決議する。
 1959年7月1日
  琉球政府立法院

■参考(敗戦後の沖縄の現状)
1.土地、財産、海没地等
米軍は沖縄戦において、基地構築のため広大な土地を囲い込み、講和発効時においても4万エーカーを軍用地として無償使用していた。

米民政府は、布令第105号「1950年7月1日から1952年4月27日に至るまでに米国民政府によって使用された琉球人私有地の賃貸契約の締結及び借地料支払いの履行の期限」に基づいて、その間の地料を支払ったが、それ以前の使用料は未払いのまま放置されていた。

2.人身被害
戦後は米軍人、軍属などによる人身被害の犯罪も多発し、多くの住民が被害を蒙った。そのうえ、講和条約発効前に蒙った人たちは補償もないまま放置されていた。

3.漁業被害
米軍は各地の沿岸水域を演習区域に指定し、沿岸漁業に依存する沖縄の漁業は、米軍の演習によって大きな打撃を受けたが、補償もなく放置されていた。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:02| 歴史の証言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする