2015年10月31日

■日本人として沖縄を寄せ付けない

■日本人として沖縄を寄せ付けない。
〜翁長雄志知事の言葉〜

日本人になろうとしてもなれない気持ち─西銘順治先生の言葉だ。10月30日、沖縄タイムス、琉球新報に翁長雄志知事の記者会見の詳細が掲載されている。翁長知事の発言は沖縄の歴史認識に基づいており、県民に感動を与える。沖縄の未来にとって基地は認められない─その政治姿勢は感動的だ。

県内2紙「辺野古工事着手・知事会見」を注意深く読んだ。これを読めば、知事の気持ちの全貌が分かる。日本国民は深い沖縄の声を聞いてほしい。現代政治が置き忘れてきた「沖縄の現実」が集約されているからだ。

一問一答で翁長知事は答える。
●他府県では反対した場合には、撤回されるのに、沖縄ではこれだけ強権をふるうと(知事)が話しても、なぜ沖縄の声は聞かれないのか。

●翁長知事
・私は沖縄県民の気持ちを「飢餓感」という話をした。これらの言葉に含まれるのは、やはり長い歴史の中で、47都道府県の中で沖縄はある意味で独自の歴史を築いてきた。
・東大を出て4代前の知事で外務省官僚になって、沖縄に戻り那覇市長をやり、県知事をやり、衆議院議員をやった西銘順治先生が「ヤマトンチュ」になろうとしてもなりきれない気持ちを「沖縄の心」だといったことがある。あれから何も変わっていない。

・日本人になりたいというよりも(日本人として)寄せ付けない。東京要請のときに感じた。

・わたしどもは、日本から切り離され、20数年間、日本国民でもなく、アメリカ国民でもない状況に置かれた。そして日本に復帰しても0.6%の面積に73.8%の基地は変わらない。

* * *
知事の言葉を聞いて思った。翁長知事は「わったーウチナー」の未来を決める判断をする。リベラル民主主義を標榜する。政府の権力の重圧に負けない。言葉の節々に魂の力が湧き出る。歴史の試練に挑む政治家として県民は支えている。

新基地─こんな未来は受け入れられない。分断と対立。政府は「権力の殻」に沖縄を閉じ込める。辺野古の状況をみれば分かる。県民は不安を噛みしめる。日本政府に欠落しているのは「沖縄の人間性理解の欠如」だと思う。

沖縄の未来を決めるのは、沖縄である。沖縄の尊厳は踏みにじられている。沖縄は人間としての喜びを感じる場所でなければならない。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:03| 米軍基地・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月30日

■権力は地域をつぶす

■権力は地域をつぶす
〜今、沖縄で何が起こっているか〜

今、沖縄で何が起こっているか。2015年10月29日、政府は辺野古の本体工事に着工した。新基地建設で石井啓一国土交通相の執行停止通知が沖縄防衛局に届き、翁長雄志知事の埋め立て承認取り消しを国家権力で停止した。

国家意思で何でもできる─これが沖縄の現実だ。米軍政下で銃剣とブルドーザーで強制的に米軍基地をつくったように、日本政府が同じことを繰り返す。度重なる権力が容赦なく沖縄を襲う。

機動隊導入による強制的な県民排除。歯止めをかけようとする県民の抵抗と知恵は今のところ無力である。沖縄に生きるものとして権力の恐ろしさにおびえる。

地域を生きる連帯装置は、権力の足の裏として組み敷かれる。地域は人々の生きる場所であり、豊富な海で幸を求め働く場所であり、暮らす場所である。米軍基地をつくる場所ではない。その原点をもう一度考え直したい。

次の時代を生きる、そこに生きて呼吸する人間の存在として集落がある。米軍機が騒音をまき散らし、犯罪、事件・事故の温床として生まれ変わる場所ではない。その深い衝撃に心が震える。

ひとびとの自然は容赦なく搾取される。沖縄を犠牲に日本の安全保障を唱える。
沖縄は「抑止力」の場所だという。地域と社会を遮断する。権力という新たな国家の「思想」を見た。戦後70年苦悩が続く沖縄。痛みを通しての沖縄の連帯を機動隊が排除する─テレビで可視され全国に放映されている。日本人よ!何も感じないのか。

強権きわまる。沖縄の歴史は物語る。日本は法治国家か? 時代の衝動が沖縄に軋む。自由な意思をもって県民は生きる。忍土・沖縄から日本国民へ呼びかけたい。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:25| 米軍基地・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月29日

■まるで米統治下の懐柔策

■まるで米統治下の懐柔策
〜高等弁務官の「沖縄統治」と重なる〜

芽を吹きだした国家権力はなりふり構わず、沖縄に深い衝撃を与えている。基地受け入れの自己増殖した「振興策資金」で地域を懐柔しているのだ。お金で地域を分断する? この変質したマネーは何だろうか?

言葉を変えて言えば、マネーの暴力が沖縄辺野古を権力の都合のいいように変えようとしているのだ。節度のない湯水のごとく資金を注ぐ振興策とは何だろうか。

われわれがパン屋でパンを買う「お金」と権力者が基地受け入れに使う「お金」は二つの全く異なった種類のお金であることを認識しなければならない。

『エンデの遺言〜根源からお金を問うこと〜』を思い出した。打撃を与える「お金」「手品としてのお金」のことだ。地域を食いつぶすお金の「正体」を見た。

米軍普天間飛行場の移設先の名護市辺野古周辺の辺野古、豊原、久志3区(久辺3区)に政府は直接振興資金を交付し、地域懐柔策に出た。名護市、沖縄県を通じないという。新基地建設の「マネー」の暴力以外の何物でもない。

辺野古を基地マネーの足下に組み敷こうというのか。「識者談話」が琉球新報に掲載された。ブログで紹介する。

* * *
(2015年10月27日付、琉球新報掲載)
「識者談話」
宮田 裕氏
■まるで米統治下の懐柔策
 
名護市辺野古への新基地建設をめぐりキャンプ・シュワブ周辺の久辺三区(辺野古、久志、豊原)に交付される新たな交付金は、沖縄振興の本来の目的を逸脱したものだ。この予算が沖縄振興の本来の趣旨に合致したものかどうかという点に、問題の本質がある。

国が市町村麻集落に直接交付するという前例は聞いたことがなく、根拠法令も明確でない。

純然たる振興というものは民意に沿ったものだ。従来の沖縄振興は、本土との格差是正や民政安定にその主たる狙いがある。基盤整備や経済発展のための整備など、将来を展望し、自立に資するものこそがその本質だった。だが、1997年度に始まった島田懇談会事業からそれが変わった。基地問題がクローズアップされ、北部振興事業が始まり、振興が普天間移設問題とリンクした形になってしまった。

こうした振興の在り方は、復帰前の米軍統治下の沖縄をほうふつとさせる。高等弁務官資金を使った懐柔策がまさにそうだ。弁務官資金は地域の公民館建設や道路の補修のほか、選挙対策にも使われていた。沖縄の抵抗を和らげる住民対策としての側面があった。

歴史は繰り返されている。かつての高等弁務官式の手法が、つまり懐柔策で権力者の言うとおりにさせるような図式が、復帰43年をへて再現されている。久辺三区に投下されようとしている予算は、しっかりした振興計画に基づいた予算とは言えない。県が策定した沖縄振興計画「沖縄21世紀ビジョン」にその目的は合致するのだろうか。

名護市、県を通じずに末端の行政区と手を結び、予算を流すやり方も、本来の予算配分のあり方から外れている。90年代半ば以降の、基地と振興をリンクさせてきた構図も踏まえると、これは行政のモラルハザード(倫理観の欠如)と言うべき事態だ。(地域開発論)
posted by ゆがふ沖縄 at 00:01| 米軍基地・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする