2015年10月10日

沖縄戦後70年(268)

沖縄戦後70年(268)
■B52爆撃基地化に反対し同機の即時撤収と一切の戦争行為の即時取り止めを要求する決議
(1968年2月10日 琉球政府立法院決議)

宛先 米国政府、米国防長官、琉球列島高等弁務官

本院は、一九六五年七月二十九日、米軍B52戦略重爆撃機約三十機が沖縄からベトナム戦争に出撃した事実に対し、翌三十日、米軍が沖縄基地からのベトナムへの出撃及び沖縄を戦争と巻き込む一切の行動を即時取止めるよう院議をもって強く要求した。

しかるに、米国は今回これを無視してベトナム戦争の激化とプェプロ事件の惹起による米国の北朝鮮間の緊迫化に伴ってアメリカの核攻撃力の主力と言われるB52爆撃機を二月五日、嘉手納飛行場に移駐し、同基地を拠点として連日作戦行動をしていると見られる状況にある。

更に、米国防省当局が西太平洋方面へのB52爆撃機を増強したとの報道は、沖縄県民に戦争の恐怖と不安を与えている。

第二次世界大戦で悲惨な戦禍を持って体験した沖縄県民にとって、沖縄がB52爆撃機の出撃基地として使用されるということは断じて許容できない。

よって本院は、県民の生命と財産を守り、その安寧を図るためB52爆撃機の飛来に抗議し、同機の即時撤収を要求するとともに沖縄の出撃基地化に反対し、沖縄を戦争に巻き込む一切の戦争行為を即時取止めることを強く要求する。

 右決議する。
  1968年2月10日
   琉球政府立法院

注:琉球立法院は、同日付で沖縄県民の切なる要求が実現するよう日本政府に協力方を要請した。
 ***
■プエブロ号事件
1968年にアメリカ海軍の情報収集艦プエブロが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拿捕された事件。

■ベトナム戦争と沖縄
ベトナムで戦死した米兵の遺体は普天間飛行場に運ばれ、冷凍して米国へ搬送された。アメリカ施政下の沖縄・嘉手納基地からはB52戦略爆撃機が飛び立ち、ベトナムに爆弾の雨を降らせた。

爆弾や毒ガス、軍服、死体袋、車両、電気製品など、アメリカ軍にとって必要な物資の一部を日本がつくり、日本の産業界は「ベトナム特需」で潤った。

沖縄米軍基地建設は日本のゼネコンが受注し、戦後の日本経済は「沖縄を踏み台」にして経済成長を遂げた歴史がある。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:02| 歴史の証言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする