2015年11月25日

■普天間移設問題の増悪(4)

■普天間移設問題の増悪(4)

1997年9月10日、「沖縄問題について内閣総理大臣談話」が閣議決定された。
橋本龍太郎総理は「第二次大戦で沖縄県民が受けられた大きな犠牲と、今日まで沖縄県民が耐えてこられた苦しみと負担の大きさを思うとき、私たちの努力が十分なものであったかについて謙虚に省みるとともに、沖縄の痛みを国民全体で分 かち合うことがいかに大切であるかを痛感いたしている」と述べた。

復帰後25年経過した沖縄。米軍政下同様に沖縄に米国の軍隊が駐留する。事件、事故等の犯罪の多発。沖縄警察の排除。占領下の沖縄は復帰後も変わらない。在日米軍の法的地位とされる「日米地位協定」の壁が沖縄を植民地化する。米軍基地は治外法権なのだ。

沖縄国際大学・前泊博盛教授は日米地位協定について不平等を許す密約と説く。前泊氏は日米地位協定の問題点を次のように分類する。(前泊博盛『日米地位協定入門』)

@米軍や米兵が優位に扱われる「法のもとの不平等」
A環境保護規定がなく、いくら有害物質をたれ流しても罰せられない協定の不備など「法の空白」
B米軍の勝手な運用を可能にする「恣意的な運用」
C協定で決められていることも守られない「免法特権」
D米軍には日本の法律が適用されない「治外法権」

1996年9月8日、「米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直しについて」賛否を問う県民投票を実施。県民投票は都道府県レベルでは全国初の住民投票だ。有権者数90万9,832人で投票率は59.53%、投票総数54万1,638票のうち有効投票は52万8,770票。有効投票のうち、賛成票48万2,538票(91.3%)。反対は4万6,232票(8.7%)だった。

県民投票は、1995年の米兵による少女暴行事件、太田知事の米軍基地代理署名拒否、在日米軍基地の75%が集中する沖縄の現状を内外に示す好機となった。

復帰25年。沖縄問題について橋本総理は「地位協定の見直し及び米軍基地の整理・縮小を求める県民投票について沖縄県民の願いを厳粛に受けとめる」と述べた。

当時沖縄県は、豊かな自然環境や伝統、文化を生かしつつ、県土構造の再編、産業経済の振興及び生 活基盤の整備等を進め、平和で活力に満ち、潤いのある地域の実現を目指した国際都市形成基本計画「21世紀沖縄のグランドデザイン」をまとめていた。

橋本総理は、沖縄問題談話で沖縄振興に前向きな姿勢を示した。総理談話は「沖縄21世紀グランドデザイン構想」に言及した。

橋本総理は「この構想を踏まえ、通信、空港、港湾の整備と国際経済交流、文化交 流の拠点の整備を行うとともに、自由貿易地域の拡充等による産業や貿易の振興、観光 施策の新たな発掘と充実、亜熱帯の特性に配慮し、医療、環境、農業等の分野を中心と した国際的な学術交流の推進とそれに伴う関連産業の振興等のプロジェクトについて沖縄県と共に検討を行い、沖縄県が地域経済として自立し、雇用が確保され、沖縄県民の生活の向上に資するよう、また、我が国経済社会の発展に寄与する地域として整備されるよう、与党の協力を得て全力を傾注してまいりたい」とする談話を閣議決定。

総理は「沖縄のための各般の施策を進めるために、特別調整費を予算に計上するよう大蔵大臣に検討を既に指示した」と発表。その後、内閣官房長官、関係国務大臣、沖縄県知事などによって構成される沖縄政策協議会が設置される。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:09| 米軍基地・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月24日

■普天間移設問題の増悪(3)

■普天間移設問題の増悪(3)

1996年1月11日、村山富市首相辞任。後任に橋本龍太郎氏が第82代内閣総理大臣に指名され、自社さ連立による第1次橋本内閣が発足する。内閣官房長官には、竹下派七奉行と呼ばれた実力者である梶山静六氏が就任。

梶山は島田懇談会の発案者だ。基地の重圧に心を痛めた梶山は振興予算として10年間に1千億円の予算を担保する。

歴史は繰り返す。梶山官房長官の秘書官であった菅 義偉官房長官がキャンプ・シュワブの久辺3区(辺野古、久志、豊原)の区長を官邸に招き直接振興費を交付すると伝えた。札束による懐柔策である。このような異例な事態をどう読み解くか。

『エンデの遺言』という本がある。著者・ミヒャエル・エンデは暴走するお金の正体を暴く。この本は日本人への遺言として書かれた衝撃的な本だ。暴走する基地懐柔策のお金が沖縄を襲う。

菅 義偉官房長官は久辺3区に直接振興費を支出する理由を問われ「迷惑料」と述べた(11月7日付・沖縄タイムス)。

菅官房長官は辺野古新基地反対運動の違法駐車や交通量の増加で補助金を流す理由を述べたが、札束による集落分断である。県や市町村を超えて末端の補助金を交付することは前例がない。

補助金適正化法は、補助金の交付申請、決定等に関する事項、予算の執行に関する基本的事項を規定する。補助金交付の基本法において県、市町村を飛び越えて末端の行政区に補助金(迷惑料)を交付するやり方は沖縄に根付くはずがない。補助金の本質がゆがんで見える。

憲法学者の木村草太氏は、「久辺3区補助金は違法」と指摘する(2015年11月16日付・沖縄タイムス)。報道によると、政策への支持を取り付けるためにお金を出すというのでは、まるで地域ぐるみの買収で公益性原則に反すると説く。

基地マネーが沖縄を踏みつける。東京からの機動隊の導入と弾圧。忍土の「掟」。痛みを通しての連帯。母なる辺野古の海が泣いている。邪(よこしま)な風が吹く。戦後70年、沖縄の戦後は終わっていない。

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2015年11月23日

■普天間移設問題の増悪(2)

■普天間移設問題の増悪(2)

沖縄の基地問題が政治課題となると内閣が動きだした。1996年6月1日、内政審議室に「沖縄米軍基地問題担当室」設置(同年9月に「沖縄問題担当室」に改称)。

返還跡地対策として振興計画を所管する沖縄開発庁も動き出した。96年6月30日、沖縄開発庁に「普天間飛行場等の返還跡地利用問題対策本部」及び沖縄総合事務局に「普天間飛行場の返還に係る沖縄総合事務局連絡協議会」を設置したのだ。

96年8月19日、「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会(島田懇談会)」が設置される。島田懇談会事業は、基地の閉塞感緩和策として、梶山静六官房長官の私的諮問機関として発足、官邸が直接主導した。

1997年度に島田懇談会事業が予算化された。迷惑料的な意味合いが強い予算だった。使途は、@市町村の経済を活性化し、閉塞感を緩和し、若い世代に夢を与えるもの、A継続的に雇用が増え、経済の自立につながるもの、B長期的な人づくりを目指すもの─と言いはやされた。

慶応大学・島田晴雄教授が座長を務めていたので「島田懇談会」という名称がついた。基地問題に直面した地域振興策としてスタート。基地とリンクした沖縄振興の構造的変化を暗示したものであった。

基地所在25市町村(その後市町村合併で21市町村)を対象に38事業、47事案が採択された。補助率は事業費の90%は国庫負担。内閣府沖縄担当部局に予算を一括計上し、実施省庁へ移し替えて実施。なぜ、振興予算でできるものを特別予算に組み替え基地とリンクしたのか。振興予算に構造的変化があった。

オブザーバーとして会議に参加する機会があった。地域は豊かになりますよ─島田座長がふと漏らした言葉が心に残った。沖縄はこれでよいだろうか。基地とリンクして豊かになるだろうか。地域計画に当てはまるだろうか。沖縄を見る知識として正しいだろうか。機能性ある沖縄振興とは何か。ソフトウエア―が欠けていないか。

基地所在市町村は38事業、47事案が採択され、振興策が実施されたが、右手に振興策、左手に基地維持政策のジレンマを抱えた。補償型政治の本質があった。

沖縄振興の原点「償いの心」は「基地の閉塞感緩和」へ変質した。888億円で「箱もの」がつくられた。維持コストで深刻な財政圧迫をきたしている。シャッターが閉じた商店街、深刻な若者の雇用環境、北部地域の人口減少も見られる。地域の課題は残ったまま豊かさの実感はない。札束で人身は得られない。

1996年9月8日、沖縄に新たな動きがあった。忍土・沖縄で「日米地位協定の見直し及び基地の整理縮小に関する沖縄県民投票」が実施された。投票率60%。89%が賛成。あれ以来、沖縄の民意は放置されている。沖縄は国家から疎外されている。占領下に重なる。沖縄県民は格別その感が強い。見るに堪えぬ県民の不幸がある。国家不在のしるしではないか。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:04| 米軍基地・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする