2015年11月02日

■変質した「沖縄振興策」

■変質した「沖縄振興策」
〜復帰43年、「補償型政治」の実像〜
 
1970年5月「沖縄北方対策庁沖縄事務局」が設置され、復帰対策が本格化した。山中貞則・総理府総務長官は、復帰対策の心得について職員に訓示した。

「戦後四分の一世紀余の長きにわたり米軍統治下に置かれてきた沖縄を迎えるにあたって、忍耐と苦難の歴史の中で生きてこられた沖縄県民の心情に深く思い、県民への“償いの心”を持って対策に全力投入せよ」
感動的な言葉に職員は使命感に燃えた。復帰対策は、本土と沖縄が一体化することを基本とした。復帰関連法案が国会に提出されると、山中大臣は立法趣旨説明で沖縄の苦難の歴史に謝罪し、沖縄振興の原点は「償いの心」であると述べた。

復帰関連法案は71年10月に国会に提出、全会一致で可決成立し、1972年5月15日、沖縄の祖国復帰時に施行された。

沖縄振興の実施機関として沖縄開発庁が発足、沖縄現地に県民の便益を図るため沖縄総合事務局が設置された。復帰対策の責任者で琉球政府行政副主席・瀬長浩氏は日本政府との交渉の中で「沖縄総合事務局の設置は“第2のUSCAR(琉球列島米国民政府)”になる」と懸念を示した。

これに対し山中大臣は「沖縄の耐える歴史に終止符を打つ。“償いの心”を持って復帰後の沖縄振興に国は全責任を持つ」と述べ実現した経緯がある。

沖縄総合事務局は、本土との格差を埋めるために、道路、空港、港湾、ダム開発等インフラ整備を重視し、集中的に公共事業を実施した。戦後処理としてドルから円への通貨切り換え差損補償、復帰特別措置、対米請求権、不発弾、交通区分変更、地籍明確化などを手掛け県民の期待を背負ってきた。

しかし、国直轄事業の大半は本土資本に流れ、県内で資金循環しない仕組みがつくられた。普天間が政治問題化すると、振興予算2千億円を基地マネーとして「島田懇談会事業」「北部振興事業」に組み替えた。「箱もの」が造られ、維持費負担で財政逼迫に陥った自治体も少なくない。一括交付金が米軍機の防音測定にも使われている。

沖縄振興法の立法趣旨は、激しい戦禍、米軍統治下などの特殊事情から国の責任で沖縄振興を図るものだ。
普天間が政治問題化すると、振興策は辺野古移設と共振し“補償型政治”に変質した。沖縄に寄り添うと言いながら「構造的差別」が刻まれていく。

辺野古で魂を揺り動かしながら移設反対を叫ぶ。じっと背負ってきた不条理を考えたい。復帰の原点「償いの心」は果たされたのか。復帰43年、沖縄の現実を今かみしめる。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:02| 大学の窓から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする