2015年11月05日

■廃棄された「日本政府・南連文書」

■廃棄された「日本政府・南連文書」
 〜闇に葬り去られた行政文書〜

沖縄に君臨した日本政府南方連絡事務所。その存在を知る県民は少なくない。GHQが関与して沖縄の戦後処理のために設置した役所である。

1972年の沖縄復帰直前に「南連」の公文書の廃棄を命じられたことがある。数名がA総務課長に呼ばれ倉庫から持ち出した書類を業者に裁断してもらった。

公文書は極秘扱いされていたが、沖縄蔑視の記述があった数冊を無断で持ち出し保管していた。復帰後40数年が経過し、南連文書を開示したいと思って旧総理府の知人に相談したら「極秘文書」なので慎重に扱った方がいいという話だった。特定秘密保護法が新聞をにぎわしていたので不安が募りすべて廃棄してしまった。

米軍政下の日本政府の沖縄政策。沖縄が差別されていたのだ。差別文書は特定秘密保護法に該当するのか? 分からない。各省庁の沖縄復帰対策は県民が最も知りたい文書だと思う。その文書に触れると特定秘密保護法に触れるのか、それも分からない。国家の不条理とは何か。沖縄政策の本質が問われるが、日本政府はその実態について秘密扱いしてきたのだ。

南連文書には、戦後処理をめぐっての不条理、排他的な沖縄政策などが含まれていた。南連はその後、日本政府沖縄事務所に組織替えし、ようやく技術援助が開始されるようになる。財政援助はない状態が17年間続いた。1962年ケネディ沖縄新政策発表。日本に沖縄援助を要求。日本政府は1963年度予算で琉球政府に財政援助開始。

1969年沖縄返還が確定。1970年5月、沖縄北方対策庁が発足し、私は沖縄事務局で復帰対策を担当するようになったが、その時、倉庫で南連の対沖縄行政文書を見て沖縄差別の源流を知った。

南連文書は、封印されたままで県民はその存在さえ知らない。復帰直前、総務課長A氏が廃棄処分を命じたのである。沖縄返還後の県民の不信を招くことを恐れたのだろうか? 封印したまま闇に葬られたのである。戦後処理の沖縄記録が県民の肉眼に触れることなく消えたことが悔やまれる。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:01| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする