2015年11月12日

■沖縄再び「差別の重力場」へ

■沖縄再び「差別の重力場」へ

今から43年余前の1972年5月15日、沖縄は素晴らしい時代の到来だった。沖縄の「耐える哲学」の歴史に終止符を打ち、政府は沖縄に全力投入し沖縄振興がスタートしたのだ。

沖縄の歴史に対する国の責任論で本土と一体化した沖縄振興が展開された。沖縄の未来づくりに向けて「戦略の深化」の幕が開いた。「格差是正」「経済自立」「豊かな沖縄」等のスタンスに県民は期待を寄せた。日本の一部として扱われた。差別から決別した喜びがあった。

復帰対策に携わっていたころ、「贖罪意識」という言葉は日本政府が沖縄に向き合う言葉だった。歴史の流れでこの言葉は風化している。

あれからまもなく四分の一世紀になる。一つの悩ましい出来事が起こっている。国家の「モグラたたき」のように東京から機動隊を導入し、新基地建設反対を叫ぶ沖縄戦体験者のオジー、オバーたちがごぼう抜きにされているのだ。この現実を見ると心が折れる思いだ。

その危機に日本国民は何を感じ、何を思うのか。国防のためにリスクは「沖縄」が背負う。沖縄の犠牲感覚に目覚めない国・日本は国家と言えるだろうか。

不条理な辺野古移設は瑕疵があるとして、翁長知事は取り消した。政府は沖縄を無視し、権力で抑える。「日本型行政」の矛盾。「差別の構造」。沖縄は歴史の落とし子ではない。

基地建設の「重力場」としての沖縄。権力の「悪い癖」がまかり通る沖縄。法治国家の品格を問う。

翁長知事は公開質問状を送った。国と法廷闘争が始まる。国はあるときは国の主張を唱える。都合の悪い時は「私人」を唱える。代執行手続きでは「審判」と「プレーヤー」を使い分けている説明があいまいだと公開質問状に踏み切ったと知事は言う。知事は140万県民の思いを伝える。

陳腐化する政府の説明。まず、沖縄にどうこたえるのか注視したい。沖縄は悩ましい時期を迎えた。息の長い戦略になると思う。民主主義を分析したい。不条理を洞察したい。抑止力の「幻想」が生じているのが沖縄問題の本質だ。重層的な沖縄の声は「日本政府」に届くだろうか。反射神経で答えてほしい。


posted by ゆがふ沖縄 at 00:02| 大学の窓から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする