2015年11月20日

■普天間移設問題の増悪(1)

■普天間移設問題の増悪(1)

11月18日付のブログで「辺野古・風と土と心『沖縄を返せ』」を取り上げたら、旧沖縄開発庁OB、内閣府OB等数名からメールが届いた。当時、私は沖縄現地で沖縄振興、基地問題を担当していた。

辺野古で住民が国家権力によって抑圧されている不条理は看過できない。米軍は絶対的な権力を握って生殺与奪(せいさつよだつ)で沖縄を支配したことを書いたら、普天間の問題について経緯を知らせるべきだという助言があった。

普天間移設問題の増悪についてブログで掲載する。

普天間移設問題の起点は1995年9月4日だ。復帰後悲しい事件が起こった。沖縄北部において、米兵による少女暴行事件が発生。沖縄で反米感情が高まる。

米国の海兵隊員2名と海軍軍人1名の計3名が、12歳の女子小学生を拉致し、集団強姦したのだ。米兵の身柄は日米地位協定の取り決めによって、沖縄県警に引き渡されなかった。米軍政下の植民地同然だ。「法治国家」として人種差別問題に発展。沖縄で反基地感情、反米感情が一挙に爆発する。

普天間問題を引きづっている原点だが、菅 義偉官房長官は辺野古移設を語るとき、日本は「法治国家」という言葉を平然と使う。本土と沖縄のマスコミで取り上げられる基地問題の微妙な温度差もある。

1995年9月28日、大田昌秀・沖縄県知事は米軍用地の強制使用手続きに伴う、「代理署名拒否」を表明した。沖縄県民の怒りは頂点に達した。10月21日、米軍人による少女暴行事件を糾弾、日米地位協定見直し要求県民大会開催、8万5千人が結集。日米両政府の反応は早かった。沖縄県民の反米感情を恐れたのだ。

11月17日、政府は「沖縄基地問題協議会」の設置を閣議決定。翌96年4月12日、橋本総理・モンデール駐日大使共同記者会見で「普天間飛行場の全面返還」を発表する。4月15日、日米安全保障委員会において「SACO」中間報告が了承された。

「SACO」とは、The Special Action Committee on Okinawaのことだ。「沖縄における特別行動委員会」で頭文字をとって「SACO」と呼ぶ。
「SACO」が設置されたのは、1995年11月、沖縄の米軍基地負担のため日米両国による協議の場として発足した。

1996年4月16日、SACO中間報告を受けて「沖縄県における米軍施設・区域に関連する問題の解決促進について」閣議決定する。5月1日、防衛施設庁(当時)に「普天間飛行場全面返還等問題対策本部」設置。5月8日、「普天間飛行場返還に係る諸問題解決の作業委員会(タクスフォース)を設置し普天間返還が動き出す。
(次回は11月23日掲載)
posted by ゆがふ沖縄 at 00:02| 米軍基地・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする