2015年11月23日

■普天間移設問題の増悪(2)

■普天間移設問題の増悪(2)

沖縄の基地問題が政治課題となると内閣が動きだした。1996年6月1日、内政審議室に「沖縄米軍基地問題担当室」設置(同年9月に「沖縄問題担当室」に改称)。

返還跡地対策として振興計画を所管する沖縄開発庁も動き出した。96年6月30日、沖縄開発庁に「普天間飛行場等の返還跡地利用問題対策本部」及び沖縄総合事務局に「普天間飛行場の返還に係る沖縄総合事務局連絡協議会」を設置したのだ。

96年8月19日、「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会(島田懇談会)」が設置される。島田懇談会事業は、基地の閉塞感緩和策として、梶山静六官房長官の私的諮問機関として発足、官邸が直接主導した。

1997年度に島田懇談会事業が予算化された。迷惑料的な意味合いが強い予算だった。使途は、@市町村の経済を活性化し、閉塞感を緩和し、若い世代に夢を与えるもの、A継続的に雇用が増え、経済の自立につながるもの、B長期的な人づくりを目指すもの─と言いはやされた。

慶応大学・島田晴雄教授が座長を務めていたので「島田懇談会」という名称がついた。基地問題に直面した地域振興策としてスタート。基地とリンクした沖縄振興の構造的変化を暗示したものであった。

基地所在25市町村(その後市町村合併で21市町村)を対象に38事業、47事案が採択された。補助率は事業費の90%は国庫負担。内閣府沖縄担当部局に予算を一括計上し、実施省庁へ移し替えて実施。なぜ、振興予算でできるものを特別予算に組み替え基地とリンクしたのか。振興予算に構造的変化があった。

オブザーバーとして会議に参加する機会があった。地域は豊かになりますよ─島田座長がふと漏らした言葉が心に残った。沖縄はこれでよいだろうか。基地とリンクして豊かになるだろうか。地域計画に当てはまるだろうか。沖縄を見る知識として正しいだろうか。機能性ある沖縄振興とは何か。ソフトウエア―が欠けていないか。

基地所在市町村は38事業、47事案が採択され、振興策が実施されたが、右手に振興策、左手に基地維持政策のジレンマを抱えた。補償型政治の本質があった。

沖縄振興の原点「償いの心」は「基地の閉塞感緩和」へ変質した。888億円で「箱もの」がつくられた。維持コストで深刻な財政圧迫をきたしている。シャッターが閉じた商店街、深刻な若者の雇用環境、北部地域の人口減少も見られる。地域の課題は残ったまま豊かさの実感はない。札束で人身は得られない。

1996年9月8日、沖縄に新たな動きがあった。忍土・沖縄で「日米地位協定の見直し及び基地の整理縮小に関する沖縄県民投票」が実施された。投票率60%。89%が賛成。あれ以来、沖縄の民意は放置されている。沖縄は国家から疎外されている。占領下に重なる。沖縄県民は格別その感が強い。見るに堪えぬ県民の不幸がある。国家不在のしるしではないか。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:04| 米軍基地・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする