2016年06月24日

戦後71年・「6月23日・沖縄慰霊に日」

戦後71年・「6月23日・沖縄慰霊の日」
〜「艦砲ぬ喰(く)ぇー残(ぬく)さー」〜

6月23日、慰霊の日の沖縄は、魂の力が目覚める一日であった。戦後71年、沖縄戦の「み霊」が問いかけてくる。歴史を積み重ねても沖縄の苦悩は消えない。

焼けつく太陽の摩文仁。痛みの歴史は続く。1945年4月1日、米軍は沖縄本島に上陸。沖縄は日本国内唯一の地上戦と化す。米軍は沖縄本島を二分し、住民は艦砲射撃で多大な被害をこうむった。

米軍は沖縄戦を「アイスバーグ作戦」と位置づけ、1500隻の軍艦と54万8千人の兵力を投入。日本軍は陸軍8万6千人、海軍1万人、沖縄人は動員され防衛隊員・学徒隊員2万人、計11万1千人だった。沖縄戦で⒛数万人が死んだ。

1945年4月1日、米軍は南西諸島及び隣接水域を占有し、「ニミッツ布告」を発布し、軍政を樹立。1946年1月29日、「沖縄を日本から分離する覚書」により沖縄は日本から分離され、米軍の沖縄統治が本格化する。

1950年12月5日、「琉球米国民政府に関する指令」により米国軍政府は「琉球列島米国民政府(USCAR)に改称。

USCARとはUnited States Civil Administration of the Ryukyu Islandsのことだ。

1952年4月28日、「日本国に対する平和条約」が発効、同条約第3条により、沖縄は米国の施政権下に置かれる。

1972年5月15日、沖縄は悲願の日本復帰を果たす。
国土面積0.6%の沖縄には在日米軍基地の74%の過重な基地負担を押し付けられている。広大な米軍施設。悲惨な米軍人・軍属の凶悪犯罪。日本人よ!今すぐ沖縄の基地を引き取れ!

6月23日 沖縄慰霊の日。午後9時、「NHKニュースウオッチ」で「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」が放映されていた。

沖縄戦で家族を失った悲しみを抱えつつ、力強く生きる人々の寂しさを歌った沖縄民謡「艦砲ぬ喰(く)ぇー残(ぬく)さー」。作詞作曲は比嘉恒敏(ひがこうびん)さん。1973年に56歳で死去。沖縄戦で米軍上陸(1945年4月1日)地点の一つになった沖縄県読谷村(よみたんそん)に石碑がある。比嘉さんの娘4人の民謡グループ「でいご娘」が平和への願いを込めで熱唱する姿がNHKは全国放映した。

最後の歌詞を掲げる。
「我親喰たる あぬ戦 我島喰たる あぬ艦砲 生まり変わてぃん 忘らりゆみ(中略)うんじゅん わんにん いゃーん わんにん 艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」

翻訳
「私の親を喰った あの戦争 私の島を喰った あの艦砲 生まれ変わっても 忘れられようか〈中略〉貴方も 私も お前も 俺も 艦砲の喰い残し)となっている」。

沖縄慰霊の日。追悼式では、金武(きん)町立金武小学校6年の仲間里咲(りさ)さん(11)が、自作の平和の詩「平和(ふぃーわ)ぬ世界(しけー)どぅ大切(てーしち)」を朗読する姿に感動した。沖縄戦で負傷した祖父が教えてくれた平和の大切さをつづった詩である。

■「平和ぬ世界どぅ大切」
仲間里咲さんが朗読した詩を掲載する。

「ミーンミーン」
今年も蝉(せみ)の鳴く季節が来た
夏の蝉の鳴き声は
戦没者たちの魂のように
悲しみを訴えているということを
耳にしたような気がする

戦争で帰らぬ人となった人の魂が
蝉にやどりついているのだろうか
「ミーンミーン」
今年も鳴き続けることだろう

「おじぃどうしたの?」 左うでをおさえる祖父に問う
祖父の視線を追う私
テレビでは、戦争の映像が流れている

しばらくの沈黙のあと
祖父が重たい口を開いた
「おじぃは海軍にいたんだよ」
おどろく私をよそに
「空からの弾が左うでに当たってしまったんだよ」
ひとりごとのようにつぶやく祖父の姿を
今でも覚えている

戦争のことを思い出すと痛むらしい
ズキンズキンと…
祖父の心の中では
戦争がまだ続いているのか

今は亡き祖父
この蝉の鳴き声を
空のかなたで聞いているのか
死者の魂のように思っているのだろうか

しかし私は思う
戦没者の悲しみを鳴き叫ぶ蝉の声ではないと
平和(ふぃーわ)を願い鳴き続けている蝉の声だと
大きな空に向かって飛び
平和(ふぃーわ)の素晴らしさ尊さを
私達に知らせているのだと

人は空に手をのばし
希望を込めて平和の願いを蝉とともに叫ぼう
「ミーンミーン」
「平和(ふぃーわ)ぬ世界(しけー)どぅ大切(てーしち)」

posted by ゆがふ沖縄 at 00:01| 大学の窓から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月23日

米軍政下の沖縄財政援助をめぐる国会論戦(43)

米軍政下の沖縄財政援助をめぐる国会論戦(43)
〜1967年特別国会質疑のポイント〜

■問35 沖縄産黒糖が分蜜糖と同様買入保護がなされていないのはどのような理由によるのか。

国民生活の向上等に伴う黒糖の需要の減少傾向に対応して政府としては、甘蔗糖に対しては含蜜糖から分蜜糖への転換、いわゆる分蜜化政策を推し進めてきたところである。

一方、含蜜糖の需給状況を見ると、需要は駄菓子、佃煮用品等年間30,000トンと見込まれ、供給としては沖縄産16,000トン、奄美産7,000トン、台湾からの輸入が5〜6,000トン、合計28,000〜29,000トンと、その需給状況はほぼ安定している。

需給を調整することにより、相対的に有利な価格形成が行われるであろうとの判断から糖価安定を目的とする糖価安定事業団による買入保護は甘蔗糖については分蜜糖のみに限り、含蜜糖はその対策外としているものである。

また、含蜜糖を買い上げ対象とした場合において、生産形態が家内工業的なものから比較的大きな規模での生産に至るまで混在しているため、種類、品質が雑多で規格を統一することが困難であり、また、これを統一する場合は光沢、色、含水量等のし好品を重んずる黒糖本来の風味を失うことになる。

生産規模が多岐にわたり、合理的な標準コストの算定がきわめて困難である等、価格政策の対象とするには技術的に問題が多すぎるようである。

しかし、沖縄には離島が多く、ここでは分蜜化が不可能であり、しかも甘蔗に代わる作目が早急には見出しがたく、より最適と考えられる畜産等への作物転換のためには、広汎で強力な政策を実施してもなお、相当時間を要する。

黒糖価格は、黒糖という単一商品の需給関係ばかりでなく、甘味料全般の価格の影響を受ける。

分蜜糖については、事業団買い上げという保護措置でもって甘蔗生産農家に対し、その原料の再生産に必要な価格を支持することができるのに反し、黒糖用甘蔗生産農家については、その支持が困難であるということは、農政上問題であるので、琉球政府においては含蜜糖の生産合理化及び畜産への転換策を推進している。

政府としては、琉球政府のこれらの対策の促進を図るため、必要な援助を行っていく所存である。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:01| 日本政府の復帰対策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月22日

米軍政下の沖縄財政援助をめぐる国会論戦(42)

米軍政下の沖縄財政援助をめぐる国会論戦(42)
〜1967年特別国会質疑のポイント〜

■問33 沖縄産糖の買入価格決定に当たって、二本建てまたは三本建てのいわゆる複数価格の設定の要望があったが、どのような理由で一本価格となったのか。

糖価安定事業団による沖縄産糖の買入価格は、国内産糖の場合と同様、原料生産者の最低価格を保障し、その経営の安定を図るとともに企業においても合理化が競争的に行われ、企業の健全な発展が図られるよう標準的な操業的な操業を行う場合の製造コストをもって算定することとしている。

また沖縄の生産事情等が奄美諸島の生産事情と本質的に異なっているとは言えないが、離島が多いという自然的条件からくる工場格差が大きい。いわゆる構造上の問題とも考えられ、この点については将来検討を加えることといたしたい。

なお、当面においては一本価格による買い入れに伴う企業間格差の是正については、沖縄側で自主的に内部調整することを期待している。

■問34 沖縄産糖の買入に伴い、昭和42(1967)年度において3億円の臨時糖業振興助成費を計上しているが、この内容は何か。

沖縄産糖は国内産糖と同様、糖価安定事業団による買い入れによって保護されているが、本年度沖縄産糖については、台風による被害、八重山群島における原料不足等の事態により、合理化努力によるコスト引き下げ分を相殺する結果となり、従って農家所得の確保を目的として設定された原料の最低生産者価格を支持するためには、前年の買入価格を上回って決定するよう現地側の強い要望があった。

その価格は、実勢価格トン当たり80,000円であるが、政府としては慎重に検討した結果、国内価格とのかねあいもあり買入価格は昨年度のトン当たり78,500円とし、これと実勢単価との差額相当額3億円(トン当たり1,500円×200,000トン)を日本政府の対沖縄援助費の中で、沖縄糖業振興のための臨時助成費として交付することとしたものである。

その配分については、上述の趣旨に適合するよう琉球政府において決定されるものである。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:00| 日本政府の復帰対策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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