2016年07月18日

米軍政下の沖縄財政援助をめぐる国会論戦(49)

米軍政下の沖縄財政援助をめぐる国会論戦(49)
〜1967年特別国会質疑のポイント〜

■問43 沖縄産生畜の本土輸入に当たっての検疫を簡素化してほしいという要望があるがどのように考えるのか。

1964年9月、農林省畜産局衛生課長及び動物検疫所長が沖縄の家畜衛生状況を視察し、検疫の簡素化については本土政府職員を長期間継続して沖縄に派遣し、現地検疫の立ち合い並びに家畜衛生の指導を行う一方、琉球政府職員の本土における検疫制度等の研修を行い、沖縄における家畜衛生体制の改善と技術の向上を図ることによりその実現は可能であると判断した。

この判断の根拠は、家畜の交流が本土及び沖縄の間のみの問題であったので、沖縄が本土の都道府県並みの家畜衛生状況を維持し得ることを前提とするならば、両地域間の家畜の移動を特に外国並みに扱わないでよいという判断によるものである。

その後、対沖縄技術援助計画に基づいて本土の関係係官による動物検疫及び家畜衛生に関する指導と琉球政府関係係官の本土の動物検疫所等における研修が行われている。

この結果、沖縄における動物検疫及び家畜衛生水準は向上しつつあるものと考えられることから、農林省においては沖縄産肉蓄(輸入後直ちに殺されるもの)に限って、家畜伝染病予防法施行規則の改正を行い、輸入のため係留検査を省略することを検討している。

しかしながら、最近沖縄に海外からの家畜の輸入が増加の傾向にあることは、単純に本土及び沖縄間の家畜の交流とみなし得ない問題が発生しつつあるので、沖縄への海外からの輸入検疫については、更に本土の技術指導を継続して行い、これに対処することとしたい。

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■コーヒーブレーク【coffee break】
動物検疫所は家畜の伝染病を防ぐ体制として輸出入検疫を実施している。1948年(昭和23年)沖縄民政府に家畜検疫所設置。1952年(昭和27年)、琉球政府に移管。1972年(昭和47年)5月、日本復帰に伴い動物検疫所沖縄支所へ移管。

動物検疫所は国の機関。横浜に本所があり、成田支所、羽田空港支所、中部空港支所、関西空港支所、神戸支所、門司支所、沖縄支所がある。
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2016年07月15日

米軍政下の沖縄財政援助をめぐる国会論戦(48)

米軍政下の沖縄財政援助をめぐる国会論戦(48)
〜1967年特別国会質疑のポイント〜

■問42 沖縄は肉牛の肥育適地と聞くが、本土市場において肉牛不測の折、これを振興させて輸入する考えはないか。

沖縄からの肉牛の輸入については、原産地証明のあるものは自由に輸入できる体制になっており、沖縄における肉牛生産の振興により本土への供給が増大することは望ましいことと考える。(一部省略)

注:原産地証明のあるものとは、日本と琉球貿易で特別措置が講じられた南西諸島物資を言う。米国極東司令部及び琉球米国民政府を仲立ちとする貿易交渉が日本と琉球当局者間で行われ、日本と南西諸島との貿易振興を目的とした。

1952年7月10日、「本土と南西諸島との間の貿易及び支払いに関する覚書」が締結された。琉球政府の原産地証明書があれは、南西諸島物資は自動承認制で関税が免除された。敗戦後の沖縄経済再建のきっかけとなった。ほとんどの沖縄産品が指定された。

問43 沖縄においても本土同様豚価の変動が大きいので本土の畜産振興事業団により、これを買い上げてほしいという要望があるが、これについてはどのように考えているか。

畜産振興事業団による豚価の買い上げ措置は、本土内における豚肉の生産と流通の実態に着目し、その価格支持と生産の安定を目的とした措置であるので、豚肉の品質も異なり、またその生産と流通の異なる沖縄産豚肉をその対象としていないので、現行制度上事業団買い上げは困難であると考えている。

また沖縄からの生豚又は豚肉の本土への輸入は、現在自由に行われており、従って事業団による売買操作によって形成される市場価格をもって輸出ができるので、沖縄産豚肉も間接的にその利益を受けている者と考えている。

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■コーヒーブレーク【coffee break】
本ブログで掲載してきた資料は、琉球列島米国民政府と直接交渉にあたっていた日本政府沖縄事務所長・岸昌さんから寄贈された特別国会資料等である。ブログ掲載に当たり一部削除した箇所もある。

岸さんは沖縄を離任後、自治省官房長、大阪府副知事から知事に登りつめ、大阪沖縄県人会に出席して沖縄県人を激励していたことを後日知った。直筆の資料を読むと『沖縄で自治の原点を学んだ』という言葉がある。

沖縄の歴史書をすべて読んで沖縄に赴任したという言葉を訓示で聞いたことがある。沖縄では末端の現地職員の意見を聞いていたことが印象的で庶民的な官僚であった。土の匂いと香りのする官僚であった。

次の言葉は感動的である。
『沖縄は日本か? 違う米国の植民地だ』・・・初めて沖縄の土を踏んだ時、米軍人の事件・事故に直面して・・・。今の日本の官僚に聞かせてあげたい言葉ですね。
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2016年07月14日

■『ギブ剛候補』落選の波紋

■『ギブ剛候補』落選の波紋
〜島尻安伊子氏推薦の『悲劇』〜

2016年7月12日付の下地ミキオ氏のメールマガジンを読んだ。それによると、比例で『ギブ剛候補』が『次点』になったことは、なかなか納得できない結果であった、と述べている。

このことは予想されていたことである。何故か。ギブ候補に投票した人は、沖縄県全体で「2万3千票」、県外で「2万票」、合計「4万3千票」だ。沖縄で「2万3千票」の得票は、下地幹郎氏と儀間光男氏の基礎票はほとんど『ギブ候補』へ投票していないことが分かる。その原因は、『おおさか維新沖縄支部』、『政党そうぞう』が『島尻あい子』氏を推薦したことが原因である。

ネット空間の威力はすごい。島尻安伊子氏の当選は阻止したいという意見が、勢いを増して拡散していた。『おおさか維新沖縄支部』、『政党そうぞう』が、島尻安伊子氏を推薦した嫌悪感(ツイッター)がウェブ上で炎上したのだ。瞬時に拡散されるのがネットの威力だ。

沖縄第1区の那覇市内でも『島尻氏推薦』への不信感が深く根を下ろしている。『選挙区は島尻安伊子、比例はギブ剛』は受け入れられないという声が流布していた。ある自治会では失望した、という意見が相次いだ。自爆の燃料を注入した選挙戦だった。

有権者は節穴ではない。よく観察している。人心をつかめないのは政治ではない。政治は潮がひいた時が怖い。戦況悪化で下地氏は敗戦が伝えられる『島尻氏推薦』に踏み切った。何があったのだろうか? 承知の上なら、この反動は逆風となって次期衆議院選挙に影響することは十分想定される。

今回の選挙は『保守、革新』というよりも、『人物・資質』の問題であった。公約破棄、信頼性欠如、県民無視の言動、ぶれる政治の実態。県民の心を共有できないのは政治ではない。選挙結果を見ると島尻氏敗北は人の要素が大きく作用していた。

メールマガジンは「誰が出来るのか?」が問われなくてはならないと発信するが、島尻氏は県民の信頼を失っている。だから県民は厳しい審判を下したのである。

島尻氏に対する不信感は想像を絶する勢いで深く刻まれている。県民から見た場合、政治の歯車は県民から離れている。政治は県民から厚く信頼され、盛り立てられ、人間的にも魅力が増し、政策が浸透して機能する。公約を撤回するのは政治ではない。

県民の慧眼(けいがん)は鋭い。ぶれない政治・・・政治家は時代を映す鏡である。心得るべき教訓である。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:10| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする