2016年07月12日

■言い訳にならんがな

■言い訳にはならんがな
〜沖縄担当大臣落選の波紋〜

現職の島尻安伊子沖縄担当大臣の落選が全国的に話題になっている。島尻氏は、マスコミのインタビューで辺野古公約違反が敗因ではないと語った。

選挙で訴えた沖縄振興の実績や経済政策が県民に浸透しなかったと、言い訳した。落選の顔を見ると『大臣』の輝きを失っていた。公約違反をして、沖縄振興の立役者の配役ぶりだったが、こればかりは付け焼き刃ではどうにもできない。

県民は島尻氏の公約違反の醜態を観察していただけに敗北は予想していた。島尻氏は沖縄のスピリッツを持たない。島尻氏の姿勢は県民との『断層』があった。大臣という権威が県民に通用するはずがなく、メッキが剥がれ落ちた残像を見る思いだ。

公約違反は政治家にとって、致命傷である。県民はよく観察していた。自爆の燃料を自ら注入した『辺野古移設』に県選出政治家の残像を見る思いだ。

悲しいね・・・前回投票した古老の言葉だ。県民の心を読み違えたのが島尻氏敗北の原因ではないか。

島尻大臣の経済政策を聞いても説得力も持たない。説明に欠けているものとは、何だろうか。県民の心を共有することだと思う。沖縄振興は島尻氏の実績ではない。その原点は初代沖縄開発庁長官・山中貞則氏の心を学ぶことではないか。

島尻氏は、辺野古移設を推進する姿勢を堅持して選挙戦に臨んだが、県民は厳しい審判を下した。基地問題の対応は県民感覚と乖離していた。

11万票差で伊波洋一氏は大勝したが、島尻氏にとっては県民の心を『共有』できなかった敗因を深く反省すべきだ。公約違反への嫌悪感は深く刻まれていた。
信頼を失うと増幅されて手厳しい審判が待ち受けている。政治は誠実を胸に刻むことだ(アラゴン)。

政治は県民の信頼で成り立つ。勝敗の要因は意外なところにあった。政治は潮がひく時が怖い。沖縄の空の下で『不倶戴天(ふぐたいてん)』を見た。
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2016年07月11日

参議院沖縄選挙区・伊波洋一氏当選

■参議院沖縄選挙区・伊波洋一氏当選
〜人物評価と基地問題への民意の勝利〜

今回の参議院選挙の特徴は、『18歳選挙権の実現』と『辺野古移設の賛否』が焦点になったことだ。世論調査で県民の審判は予想されていた。

投票箱が閉まった午後8時、沖縄の各テレビ局は伊波洋一氏の当選を報じた。翁長雄志知事は沖縄県民のうっ積した気持ちが良識の勝利に結びついたと語った。伊波氏は71年の基地の重圧と安倍政権の怒りを表現した。テレビから放映される『カチャーシー』は当選の現実を物語っていた。

島尻安伊子氏は2010年の参議院選で普天間の県外移設を公約に掲げ再選した。当選すると公約を翻し辺野古移設に転じた。今回の選挙で辺野古移設の焦点化を避けていたが県民の目は節穴ではない。

『公約違反』の経歴を持つ島尻氏の言動は県民の脳裏に深く焼き付いていた。公約違反への嫌悪感が県民に深く浸透していたことが敗因の原因だろう。

政治は県民の心と一つでなければならない。県民の心を読み違えるのは政治ではない。有権者は島尻氏の政治姿勢にノーを突きつけた。

辺野古移設が最大の焦点となった。米軍優先の日米地位協定の改定を求めても日本政府の対応は『運用改善』の言葉を繰り返すだけだった。

基地の整理縮小は進まず米軍人軍属の凶悪犯罪についても政府の対応は『綱紀粛正』『再発防止』を唱えるだけだ。元海兵隊員による女性殺害・遺体遺棄事件への怒り、辺野古移設の焦点化など県民の判断は辺野古ノーを選択した。島尻氏の公約破棄への不信感、基地問題への対応等から県民は伊波氏を選択した。

政治に必要なことは『品格』だ。公約を翻す人は、信頼されない。7月10日付の沖縄タイムス社説は、『人物と政策を見極めよう』と社説で掲げた。社説は『辺野古で反対運動を続ける市民らを抑え込むように国会で発言した島尻安伊子氏と、辺野古新基地断念を求める伊波洋一氏という、対立軸のはっきりした構図の選挙』と主張した。県民の心が表現されていた。

伊波氏勝利で『辺野古移設』はより困難になるだろう。沖縄政治の潮流は変化した。今回の選挙は『正しいベクトル』でものを見、判断した県民の勝利だ。辺野古移設反対の『呼び水』になるだろう。県民は慧眼をもって選択した。
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2016年07月08日

■沖縄県議会の『ウチナーグチ論争』

■沖縄県議会の『ウチナーグチ論争』

7月7日、OCNケーブルテレビのスイッチをいれたら、『沖縄県議会定例会』が放映されていた。ウチナーグチ論争について質疑があった。

自民党・又吉正義議員(宜野湾市選出)が『知事は、はいさい、ぐすーよー、ちゅーうがなびら』とあいさつしているが、この表現は(議会では)適切ではない、と言い出した。その真意を問いただした。

翁長知事は『ぐすーよーのぐは御の意味、す〜は大衆、よ〜は世の中のことで、皆さん、こんにちわ』の気持ちを表現していると説明した。

教育長が、県条例では、ウチナーグチに誇りを持ち、奨励していると補足説明していた。又吉議員は『ウチナーグチの文化的価値』を理解していないようだ。

又吉議員は、『ぐすーよー、ちゅーうがなびら』という挨拶は大衆に対して使うべきで、『(我々)議員は大衆ではない、公人だ』と言い出した。公人には使うべきではないし、適切な表現ではないと言いだすものだからウチナーグチの本質を見失っていると思った。

最近、『公人ばやり』が流行っている。選挙によって選ばれたから一般大衆と我々は違う?。『はあ〜と思った』 挨拶は大衆と公人は区別して扱うべきだという趣旨だろうか? すごいボルテージ高めた質問をテレビで見て『品格』を疑ってしまった。政治家は『一目も二目も置かれる人』と思ったら間違いだ。

『公人』の立場を強調したものと受け止めたが、勘違いしていないか。議員という肩書をぶら下げて大衆より偉い? と言いたいのだろうか。意外に小粒な『県議会議員』もいるものだ。公人のメンツにこだわる質問を聞いて『器』が小さいと思った。文化の視点から、ウチナーグチの本質を議論してほしい。品格を磨いてほしいものだ。見るに恥ずかしかった。
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