2016年07月04日

■57年前、沖縄で何があったか

■57年前、沖縄で何があったか
〜沖縄とは何か─その根源を問う〜

沖縄を離れて30年、本土に住む知人T氏からメールが入った。当時の石川市(現・うるま市)出身者だ。宮森小学校米軍ジェット墜落慰霊祭の記事を送ったら郷愁の念で米軍機事故に怒りと悲しみが止まらないという。T氏は米軍墜落事件で親族を失った。

T氏とは米軍政下の沖縄から高等弁務官発効のパスポートを持参し、青春真っただ中、東京で学んだ大学の同窓だ。山手線界隈、池袋、大塚、巣鴨駅前で沖縄返還運動をした仲間である。『沖縄を返せ』の歌声を響かせて大衆に訴えたことが懐かしい。

1959年6月30日、沖縄で不幸な米軍機墜落事故が起こった。旧石川市の宮森小学校で米軍ジェット機が墜落したのだ。同小学校では事故のあった6月30日は毎年『平和集会と慰霊祭』が開催されている。

『平和の鐘』は中庭にある。平和の鐘が鳴る。黙とう。平和を願う詩を群読し、全校生徒で「ふくぎの木」を合唱。130名の遺族は涙であふれる。

事故を語り継ぐ活動に取り組むNPO石川・宮森630会の会長・久高政治(68)さんはめいの徳子さん(当時2年生)を亡くした。「遺族の高齢化が進む中、どう記憶を引き継ぐかが課題だ」と話す(7月1日付・沖縄タイムス)。

久高さんの言葉に「体験者の証言を掘り起こし、若い世代に引き継ぐことを働き掛けていく」と誓った言葉を聞くと沖縄の戦後は終わっていない。

沖縄タイムス社会面トップ記事。宮森米軍ジェット墜落は8名の犠牲者と重軽症者200人の大参事。長男を亡くした90歳の伊波春代さんは、息子の名前が刻まれた「仲良し地蔵」に話しかけたと報道されていた。

90歳の伊波春代さんの次の言葉を聞くと涙する。
『米軍基地あるがゆえに起こる事件事故。心の傷が痛む。こんな苦しみを、もう誰にも味わわせたくない』 春代さんは30歳で夫を亡くし、育てた子供が事故に巻き込まれたという(沖縄タイムス)。
胸に小さな灯火をともして生きているということを知った。

復帰後44年を迎えた沖縄。普天間第2小学校。普天間飛行場とフエンスで囲まれている。幼い児童たちは耳をつんざく爆音におびえながら授業を受けている。
墜落の危険性におびえる。全国一危険な学校だ。

6月19日、元海兵隊員による残酷な殺害・遺体遺棄事件を糾弾する『沖縄県民大会』。沖縄選出衆議院議員で『県民大会は政治利用だ』と記者会見する代議士がいたことを報道で知った。『邪(よこしま)』な発言を記者会見で述べる政治家に『歴史の叫び声』は聞こえないのだろうか。言葉が崩れていた。

県民は『眼(まなご)を開き、この政治家の資質を見極めた』と思う。レイプ・殺人事件は絶対犯してはならない。沖縄に軋む発言は何を意味するのか。

途切れることのない米軍関係者の事件・事故。沖縄の苦悩は深い。歴史の現実の深みに沖縄が置かれている。それでも県民は歩まなければならない。

戦後71年─見知らぬ不幸が時を運んでくる。これがわが故郷(ふるさと)・沖縄の姿である。置き忘れた『忍土の蹉跌』。沖縄とは何か・・・その根源を問う。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:01| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする