2016年07月06日

■決めるのは誰?

■決めるのは誰?
〜沖縄県民大会への生憎(あいにく)な言葉〜

6月19日の沖縄県民大会についてブログで取り上げたら、数名からメールをいただいた。元海兵隊員による殺害・遺体遺棄事件を糾弾する『沖縄県民大会』の反響についてであった。

主な意見は、『県民大会は政治利用だ』と主張する沖縄選出国会議員への嫌悪感だった。レイプ・殺人事件は絶対許されない。沖縄県民を愚弄している意見だった。

沖縄県民大会をめぐって、いろいろな意見があったことは事実だ。『オール沖縄』を網羅していないとか、相談がなかったから参加しないとか、特定候補者を利するとか、このような次元の低い話を聞くと恥ずかしい。新聞報道で生憎(あいにく)な言葉を聞くと集まった6万5千人に対して失礼極まりないことではないか。

ラビンドラナートタゴールの格言に『哲学なき政治』『感性なき知性』『労働なき富』、この三つが国家崩壊の要因なり─とある。

県民大会は県民視点で開催されてきた。絶えることのない米軍人軍属のレイプ事件、殺人・遺棄事件に対する沖縄県民の声を日米政府に発信する民族の怒りであるからだ。

特定政治家が批判すべき問題ではない。政治は県民の心と一つでなければならない。県民の心を読み違えるのは政治ではない。

つくづく思うことだが、沖縄の政治家の一部には、公約を平気で翻す政治家もいる。辺野古県外移設を公約に掲げ当選したが、抜擢されると真逆の辺野古移設を推進している。今、『品格』という言葉に県民の関心が向いている。政治家の言動は顔や背中に滲み出ているものだ。

政治家の本来あるべき姿をつくづく考えさせられる。公約を翻す政治家に美徳は見られない。 『人心をつかみ、公約を守る』ことが政治の原点と思うのだが・・・。

もっともらしい話をする政治家は一度疑ってみる必要がある。政治はなぜ信頼を失い『急墜』したのか。正しいベクトルで政治をしてほしい。


posted by ゆがふ沖縄 at 00:28| 米軍基地・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする