2016年08月18日

沖縄返還協定・復帰に伴う諸問題質疑応答要旨(1)

沖縄返還協定・復帰に伴う諸問題質疑応答要旨(1)
1971年10月〜12月:第67国会(臨時会)
●沖縄返還協定特別委員会
●沖縄及び北方問題に関する特別委員会

第67国会(臨時会)は、1971年10月16日召集され、会期は3日間の延長を含む73日間をもって同年12月27日終了した。

本国会における最大の案件は、1971年6月17日に署名された沖縄返還協定並びに沖縄復帰に関係する諸法案の審議であった。

佐藤内閣総理大臣は、10月19日の本会議において「沖縄県民をはじめ全国民の多年の悲願であった沖縄の祖国復帰を実現するときが、いよいよ目前に迫っていることを国民の皆様とともに心から喜びたいと思います。(中略)この際あらためて、私は、これまで言葉に尽くしがたい辛酸(しんさん)をなめてこられた沖縄百万県民に対し、全国民とともに衷心よりそのご苦労をねぎらうものであります、と述べ、沖縄の祖国復帰を実現しようと所信を表明した。

以下、沖縄返還協定・復帰に伴う諸問題に関する質疑応答要旨をブログで掲載する。

■核も基地もない平和な島、本土の犠牲にならない復帰の要求というのは、沖縄県民の身勝手な要求なのか。また、そういう要求になぜこたえられなかったのか。

(佐藤内閣総理大臣)
いままで占領下で続いてきた状態が、今度は復帰すれば安保条約の枠内において米軍の基地、施設を提供することになるのだから、その実質的な変化があるということを申し上げておるのであるが、これについての理解が十分でない。

日本国民についての考え方については県民も同じ気持ちであるから、ともに手を携えて基地の整理統合あるいは平和な島を建設することについて積極的な態度で臨もう、そのためにも一日も早く復帰を実現させることであると念願しておるような次第である。


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2016年08月17日

沖縄復帰関連法案趣旨説明

沖縄復帰関連法案趣旨説明
1971年11月10日 
「衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会」

基地と沖縄振興はリンクすると政権幹部が公言している。沖縄返還に当たり、衆議院特別委員会における復帰関連法案の趣旨説明をブログで掲載する。

菅義偉官房長官と鶴保庸介沖縄担当相は、「基地・振興リンク論」の不条理な言葉を飛ばし、基地を受け入れなければ、振興予算の減額を示唆した。目の前に霞がかかったように、沖縄振興の本質を見失った発言だ。

島尻安伊子前沖縄担当相の参議院選落選で沖縄予算の減額に言及することは、政治の私物化だ。島尻氏落選を盾に沖縄予算の「兵糧攻め」で沖縄を揺さぶる言動は沖縄復帰関連法の立法趣旨に反する。

■ ■ ■
1971年11月10日「衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会」
内閣提出・沖縄復帰関連法案の立法趣旨説明

説明者:総理府総務長官・山中貞則
ただいま議題になりました沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律案、沖縄の復帰に伴う関係法令の改廃に関する法律案及び沖縄振興開発特別措置法案について、その提案の理由を説明します。

●提案理由
わが国民多年の悲願である沖縄の祖国復帰がいよいよ明年に実現する運びになったことは、国をあげての喜びであります。

沖縄は先の大戦において最大の激戦地になり、全島ほとんど焦土と化し、沖縄県民十余万人の尊い犠牲者を出したばかりか、戦後引き続き26年余の長期間にわたりわが国の施政権の外に置かれ、その間、沖縄百万県民はひたすら祖国復帰を叫び続けて今日に至っております。

祖国復帰が現実のものとなった今、われわれ日本国民及び政府は、この多年にわたる忍耐と苦難の中で生き抜いてこられた沖縄県民の方々の心情に深く思いをいたし、県民への「償いの心」をもってことに当たるべきであると考えます。

祖国復帰というこの歴史的大事業の達成に当たっては、各般の復帰諸施策を速やかに樹立し、かつ、沖縄の将来についての長期的な展望を明らかにして、県民の方々が喜んで復帰の日を迎えるような体制を早急に整えることこそ政府に課された最大の責務であります。

このような観点から、沖縄の祖国復帰の円滑な実現と、明るく豊かで平和な沖縄県の建設こそ沖縄復帰の基本的な目標でなければならないと存じます。

このためには、まず、第一に沖縄の復帰に際し、県民の生活に不安、動揺をきたさないよう最大の配慮を加えつつ、米国施政権下の諸制度からわが国の諸制度への円滑な移行を図るため、必要な暫定、特例措置を講ずることが肝要であります。

第二に、沖縄が戦争で甚大な被害をこうむり、かつ、長期間米国の施政権下にあった事情に加え、本土から遠隔の地にあり、多数の離島から構成される等各種の不利な条件になっていることに深く思いをいたし、まずその基礎条件を整備することが喫緊の課題であり、進んでは、沖縄がわが国の東南アジアの玄関口であるという地理的条件と亜熱帯地方特有の気候風土を生かし、その豊かな労働力を活用して産業の均衡ある振興開発を図ることが必要であると考えます。

政府は、このような見地から、関係諸機関の総力を結集して復帰対策に取り組み、同時に沖縄の各界各層の方々の意見を取り入れ、琉球政府と十分な調整を行い、復帰対策要綱を決定し、この要綱を基礎として関係法律案の立案を進め、ここに成案を得て国会のご審議をいただく運びとなった次第であります。

以上が、これらの法案を提案した理由であります。
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2016年08月16日

旧盆「ウンケー」

旧盆「ウンケー」
〜魅力アップの自治会活動〜

8月15日から17日まで、沖縄は旧盆である。15日はウンケー(お迎え)で精霊を迎える盆入りの行事。私は1974年6月23日、手術の失敗で9か月になる次女を失ったが、旧盆行事の精霊のウンケーを迎えることができた。

人間の運命は不思議なもので、生まれて100日記念の日に南部戦跡にいったがその翌年の6月23日、慰霊の日に亡くなった。

当時、私はある病院の医師の処方に疑問を感じ、沖縄タイムスの「茶飲み話」に投稿した。投稿内容は「医は仁術なり」というタイトルで、密室での医療行為は自閉の砦であり、それに触れることはタブーであったと悲しみを抑えることができず、人間の命について書いた。返還直後の沖縄には専門医がいなく、臨床実験的要素が強い脳外科手術であった。

6月23日の「沖縄慰霊に日」と「旧盆のウンケー」は、私にとって人間の「命」を考える日である。

小さい仏壇の掃除をし、位牌を清めた。祖先の仏壇にも手を合わせた。生まれたころの写真を見ると涙が止まらない。小学2年の孫が訪ねてきた。旧暦7月13日は、沖縄は各家庭で「精霊」を迎える日だよ、と説明するとうなずいて聞いていた。

私が住む那覇市の集落は高台にある。毎年、「旧盆のウンケー」はエイサーが行われる。地域の伝統行事として祖先を大切にし、共同体意識が盛り上がる。文化の香りがする集落であり、琉球王国時代から地域独特の芸能、棒術、エイサー等が数百年も続いているという。

私は地域が持つ集落の文化に誇りを持っている。私が住む集落は「文化が自立」しているからだ。沖縄振興一括交付金で、歴史遊歩道が整備されつつある。地域文化を大切にし、若者が元気で盆行事を展開する。住民と伝統文化が融合する。

那覇市内でも活性化のある集落で、地域と人間生活の在り方が色濃く感じられる。主体的な地域の価値が、住む人々の連帯が根付いている。地域の伝統文化の香りがする集落で、魅力アップの自治会活動は住む人々の心を豊かにさせる。 三線と沖縄の唄が天空に響く。文化が地域を盛り上げる。
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