2016年09月27日

沖縄返還協定・復帰に伴う諸問題質疑応答要旨(28)

沖縄返還協定・復帰に伴う諸問題質疑応答要旨(28)
1971年10月〜12月:第67国会(臨時会)
●沖縄返還協定特別委員会
●沖縄及び北方問題に関する特別委員会

■沖縄において米軍が土地を取り上げて基地をつくる権利があるのか。

(佐藤内閣総理大臣)
これは法律問題じゃない、戦争そのものの力の問題だと私は考える。こういう問題は法律的にいま議論していくような問題でなしに、実力の問題だと私は理解する。

■昭和20年4月米軍が攻撃を開始、占領を始めてから8月15日まで、これはどういう法体系のもとにあるわけか。

(西村防衛庁長官)
8月15日の終戦までの間というものは、一切戦場になっている状態である。従って、仮に国際法的に言えば、戦時国際法が適用になる、一切の国内法というものは、そこで事実上戦時の状態で押さえられてしまっているのではないかと考えている。

(外務省井川条約局長)
交戦法規が適用になっていたわけである。

■6月23日から9月2日の降伏文書、ミズリー艦上までは何になるか。

(外務省井川条約局長)
6月23日は、事実上いわゆる戦闘状態が終了した日だと記憶している。いずれにしても陸戦法規の適用が続いている。

■停戦下においてヘーグの陸戦法規はどういうことになっておるのか。

(外務省井川条約局長)
占領の法規である「陸戦ノ法規慣例ニ関する規則」の占領の部分が適用になると思う。

■停戦状態の中で土地を取り上げるということが、ヘーグの停戦法規に違反はしないのか。

(外務省井川条約局長)
停戦法規は、交戦者の権力とその交戦者の支配下にある人民の保護との二つの観点の調整から成り立っている。従って、私有財産は原則として尊重しなければならない。また、略奪してはならない。没収してはならない。

従って、その所有権を恣意的に取り上げるというふうなことはいけないことである。しかし、占領に伴うところの占領目的のための権力というものは、十分に強く持っておるわけだ。

従って私有財産を占領目的のために、軍の目的のために収容する、またその時に金を払わなければならぬというようないろいろの規定がある。そのようにして行われる占領軍の権力は、これは停戦法規に違反しているということはできないと思う。


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2016年09月26日

■上間自治会「敬老会」に参加して

■上間自治会「敬老会」に参加して
「人は成熟するにつれて若くなる」

那覇市上間は文化、芸能の宝庫だ。9月25日、上間自治会敬老会があった。70歳になると招待される。もてなしもすごい。定年後のこれからの人生を生きる活力に満ちた地域である。

高齢化社会、長寿社会と言われるが、出席者は青年そのものだ。青年会活動も盛んである。若者から中年、壮年、老人まで一体感がある。伝え聞くところでは、上間は琉球王府から明治40年まで真和志地域の政治の中心地であったという。上間の獅子舞は琉球王府からの伝統らしい。

行事、連帯が熱中し、地域に生きる長寿を保証する。平均寿命も長い。集落は「絆」で結ばれている。獅子舞も有名だ。婦人会の芸能は参加者を魅了する。「高齢新人類」と言えようか、活力がある。ふれあいがある。老人が歌うカラオケはレベルが高い。

最近は県外からの移住者も増えている。老後の異文化の世界と言えようか。とにかく独特の集落である。生き生きとした青年、若々しい婦人会、老人は生きがいに価値観を見だす。はつらつとしたエネルギーは他人にも自然にも優しい。地域の文化かもしれない。

参加者の会話もすがすがしい。老人の長生きの秘訣を聞いた。食事がおいしい(快食)とのことである。くよくよしないともいう。よく眠れる(快眠)をあげていた。快便も健康の秘訣だという。宿便は健康の大敵だという。食事の大切さを知った。

あなたの健康法は? 僕には特別な健康法はない。地域に溶け込む喜びのヒントを見つけた敬老会であった。敬老の日に「老人頭脳」を学んだ。心が癒された。ウチナーグチ(沖縄語)の会話を楽しんだ。第二の人生を楽しむには最高の場所だ。

いかにして人は良く「老いる」か。文豪・ヘルマンヘッセの言葉を思い出した。若いころ、よく読んだが、最近、文豪の書物から遠ざかっていたが、若いころ、東京・神保町の古本屋に通っていたころを思い出した。神保町は貧乏な学生時代、孤独な散歩を楽しんだ場所である。

敬老の日に文豪ヘルマンヘッセの著書を読み直した。人が老いて学ばなければならない知恵がいっぱい詰まっている。「人は成熟するにつれて若くなる」・・・賢者からの贈り物である。ヘルマンヘッセのひとつひとつの言葉の中には確かな響きがある。

夏の終わりだろうか。2階の窓から静寂な秋の風が吹きちぎる。南風原方面の夜景を見ながら「赤ワイン」を飲む。過ぎ去った若いころを思い出すと妙に日が過ぎ去っていく。今日も一日老いていく。
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2016年09月23日

沖縄返還協定・復帰に伴う諸問題質疑応答要旨(27)

沖縄返還協定・復帰に伴う諸問題質疑応答要旨(27)
1971年10月〜12月:第67国会(臨時会)
●沖縄返還協定特別委員会
●沖縄及び北方問題に関する特別委員会

■沖縄が返還された場合、核が撤去されているかどうか疑念を持っている。この疑念に対し、政府は前向きで解消することはできないか。

(福田外務大臣)
疑惑に対する最大の措置は、書簡だと思う。アメリカ政府が大統領の指示と許可のもとに、もう核は撤去されたと公式に言っている。核の問題についての疑惑を解く資料としてこれ以上のものはないと思う。

一般的に、常識的に見てどうも怪しいところがあるという問題があれば、権利として点検はしないが、疑惑を解明するに足る十分な調査はする。

■疑問点としてあげた、従来毒ガスが貯蔵されていた地域、レッド・ハット・エリアは再点検したのか。ほんとうに毒ガスがないということであれば、知花弾薬庫の貯蔵庫一帯を最調査、再点検をしてもいいという合意まで取り付けたわけか。

(福田外務大臣)
再点検はしていない。再点検するという合意もしていない。しかし、アメリカ政府の回答、また軍当局の説明から総合して、アメリカの回答を信頼している次第である。

■10月21日に天願桟橋からジョンストン島へ、毒ガスが運ばれた疑いがある。これについてどういう調査をしたか。

(外務省吉野アメリカ局長)
去る9月10日をもってすべての沖縄地区の毒ガス兵器が撤去されたという9月20日付のランパート高等弁務官の屋良主席あての書簡で十分であると思っていたが、念のためにさらに米側に確認を求めたところ、米側は毒ガス兵器を含む生物、化学兵器はむろんのこと、枯葉剤も一切存在しないということを明言した次第である。

なお、267化学中隊は、毒ガス撤去作業が終わった9月27日に解団式を行い、130名の隊員のうち85名はジョンストン島へ移駐し、残余は他に配属、または一部退除している。また、毒ガス兵器の輸送されたあとの貯蔵庫は、通常兵器の貯蔵庫として利用している。
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