2016年11月01日

沖縄返還協定・復帰に伴う諸問題質疑応答要旨(51)

沖縄返還協定・復帰に伴う諸問題質疑応答要旨(51)
1971年10月〜12月:第67国会(臨時会)
●沖縄返還協定特別委員会
●沖縄及び北方問題に関する特別委員会

P3の撤去⓸
■那覇空港のP3の移動については、沖縄復帰と同時に完了すべきものであるが、最近の報道によるといささか疑念が出てきた。この辺の事情はどうなっているか。

(福田外務大臣)
返還時点における那覇空港の完全復帰、つまりP3並びに関連諸施設の撤去については、終始一貫そのように答弁してきたわけである。

ところが、その後事情の変化があった。一つは、国会における予算の審議が遅れて暫定予算が一か月組まなければならぬということになった。当初5月15日の復帰時点においてP3の完全撤去並びに関連諸施設の完全返還を考えていた時点においては、それに代替する施設、つまり飛行場の整備はもとより格納庫の建設等も考えていたのであるが、それはなかなか工事期間がかかる、とても格納庫の建設までをしていたのでは5月15に間に合わぬ、ということになったのである。

急きょ米当局と相談をして、とりあえず那覇空港から移転するP3の受け入れ体制、その最小限のものをしよう、つまり普天間における滑走路のかさ上げをしよう、これなら一か月半かかるからできそうだ、こういうふうなことで予算が3月いっぱいに成立したならば、格納庫も含めた38億円の予算が47年度に計上されておるが、その一部を使って滑走路のかさ上げを早急にやる、そして5月15日の復帰時点においてはとりあえずP3の移転を行う、こういうふうに考えていたところ予算が一か月遅れた、こういうことになって、それも不可能になった次第である。

そこで5月15日私どもの念願していたところは実現できないということになってきた。

ところが、その後また新しい事態が起きているのは、移転先である普天間、それに付随して嘉手納も関連するのだが、主たる移転先である普天間においてP3の移転を歓迎しない、こういう動きが出てきたわけである。そこで屋良主席はじめ県当局はいま大変頭を痛めているのが現況である。

もう予算も成立したのであるから早急に工事着手ということになるべきであるけれども、そういう新たな情勢も加わって、まだ移転計画が実行に移されていない、こういう状態である。

しかし、これは規定の計画であるので、いずれはこれは撤去されなければならぬということになっておるのであるが、その時期をなるべく速やかにしたいというので、地元との調整工作等諸般の問題を協議中であるというのが現況である。

(外務省吉野アメリカ局長)
その後に事情がどういうふうに変わってきたかというと、主たる原因は大臣の答弁のとおり宜野湾市すなわち普天間の飛行場の周辺の住民から一部反対運動があるということが一番大きな問題であるが、このP3を那覇空港から普天間に移すことについては、われわれはこれは目玉商品だからぜひやってほしいということで先方もこれを了承し、結局時間の都合その他で昨年の暮れぐらいからともかく普天間の飛行場のかさ上げだけしてくれれば当面は移る、そしてP3の修理その他に必要な施設については、これは場合によっては例えば普天間に移った後もエンジン等をトラックで那覇空港まで運んでそこで那覇空港の現在ある施設を使って修理してもよろしいというところまで先方の了解を取り付けたわけである。

従って普天間の滑走路が予定通り完成しておれば、P3はその時点において移ったわけである。しかしながらいまや5月15日までに間に合わすという大目的が、予算がうまくつかなかったというようなことから不可能になってきた現状においては、米側もそうならばひとつ修理施設その他も一緒に普天間に移してほしい、そしてそれができるまでは彼らとしてはP3を依然として那覇空港にとどめておきたい、こういうふうに先方は主張している。

これは目下交渉中であるが、それに先立つ普天間自身のかさ上げの工事も思うようにいかないというのが現在の状況である。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:03| 大学の窓から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする