2016年11月17日

土人発言の本質(5)

土人発言の本質(5)
日本政府の沖縄差別A

戦没者援護法・・・沖縄適用除外。沖縄タイムス報道に吸い込まれた。紙面を割いて戦後の沖縄の悲惨な叫び声を伝える。当時の沖縄タイムスの記事を読むと、ジャーナリストの歴史検証に学ぶことが多い。バックグランドには沖縄県民がいた。米軍政下の沖縄でジャーナリズムは生きていた。県民は気骨を感じていたのではないか。

ペンに情報をということだろうか。情報は「人なり」、沖縄タイムスの報道は現場に裏打ちされていた。

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戦没者援護法の沖縄適用を求めて高齢のオジー、オバー、戦後の廃墟の中で夫を失った婦人、戦争孤児などが集まった。沖縄戦で失ったわが子や夫を思い出したかのような悲惨な意見が相次いだ。

日本政府は、1952年、4月30日に「戦傷者戦没者遺族等援護法」を公布し、4月1日に遡及して日本本土で適用した。しかし、沖縄への即時適用の悲願はかなえられることなく、沖縄は援護法適用から除外された。(日本政府部内資料)

日本政府は「戦傷者戦没者遺族等援護法」で沖縄を差別した。我が国唯一の戦場となり、沖縄住民十数万人の尊い人命が奪われたが、日本政府は沖縄の声を無視。人的被害、物的資源も失い戦後の荒廃のなかで、戦争で夫を失った婦人、遺族が立ち上がり「全琉球遺族族連合会」を結成し日本政府に援護法の即時適用を訴えた。

沖縄の悲痛な訴えは日本政府の心に届かなかった。そこには沖縄に対する差別があった。

援護法案審議の1952年3月22日「第13回・参議院予算委員会」で山下義信委員(社会党)は沖縄の援護法適用について質問した。

「今回の対象の中で、沖縄出身の戦死者あるいは樺太出身の戦死者など現在日本領土以外の形になっております地域の戦死者はどう処遇いたしますか。」

これに対し、厚生大臣・吉武恵市氏(国務大臣)は、「沖縄の方々の遺族に対しましては、沖縄はまだ日本の法律が適用できませんので、今回、この援護法も遺憾ながら適用がないわけであります。」と答弁、沖縄は原則として援護法が適用されないことを明らかにした。

援護法を適用するには日本国籍を有するものとしているが、援護事務に必要な戸籍は、1947年臨時戸籍取扱要綱により調整されていたが、その公証性に問題があるため、1953年11月16日、琉球政府は戸籍整備法を公布し戸籍の整備回復に着手。

戦争で滅失した戸籍は国の責任で行うべきであるが、援護法が公布された1952年4月30日時点で沖縄住民の戸籍について日本国籍としての公証性が問題視され、援護法の適用から除外されたのだ。

さらに、沖縄は戦後日本の行政からまったく切り離されたため、直ちにこれら諸法律を適用するのは困難とされた。琉球政府は日本防衛の犠牲になった沖縄の遺族を救うために、日本政府南方連絡事務所及び米国民政府に働きかけて、三者間で検討が行われ米国民政府の承認を取り付けた。

日本政府は1953年3月26日、「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)に現存するものに対し、「戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用する場合の取り扱いについて」通達を出し、沖縄にも援護法を適用した。

援護法の請求は南連事務所が窓口となった。死亡した者については、死亡当時におけるその者との身分関係を明らかにすることができる戸籍謄本の提出を求めた。

しかし、戦争で戸籍が滅失し請求は困難を要した。戸籍謄本が得られない方々は、請求者との身分関係に関する申立てを求めた。申立書には請求者の親族の証明書及び本籍地の市町村長の証明書の添付を義務付けたが、沖縄の特殊事情から請求事務は大幅に遅れた。

援護法が適用され、遺族弔慰年金が沖縄に伝達されたのは、法律制定から2年近く経過していた。

戦没者援護法の適用は、日本国民であることを条件としていたが、沖縄は戦災で戸籍が滅失し、住民の一部には無戸籍が存在し、「日本国民」として認定していない時期があり、そのため沖縄では援護法の適用が後れていた。

戦没者援護法は戦争犠牲者を救済する目的で策定されたが、祖国防衛の犠牲になった沖縄で戦没者援護法の施行が遅れたことは、米軍施政権下であったにせよ、日本政府は沖縄住民の要望に向き合ってこなかった。

日本政府の沖縄政策は強引な「辺野古移設」「高江ヘリパット問題」にも重なる。沖縄にきしむ巨大権力の壁は厚い。

次回は、戦後17年間見捨てられた「日本政府財政援助問題」を取り上げる。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:01| 米軍基地・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする