2017年01月18日

沖縄復帰特例(酒税)の政治利用(37)

沖縄復帰特例(酒税)の政治利用(37)
〜政治利用の不条理を突く〜

■沖縄施策〜沖縄開発庁構想浮上〜

1969年11月22日、佐藤・ニクソン会談で沖縄の1972年返還が決まると、復帰準備に万全を期し、沖縄振興の在り方が議論された。

1970年年5月1日、「沖縄・北方対策庁」が設置された。対策庁は沖縄の復帰に関し、その準備のための諸施策を推進し、沖縄の経済及び社会の開発発展を図り、本土・沖縄一体化が検討された。東京に本庁、沖縄現地には沖縄事務局が設置されたが、沖縄事務局には琉球列島米国民政府(USCAR=United States Civil Administration of the Ryukyu Islands)との連絡および協議を行うこととなった。私は沖縄事務局に採用された。

復帰後の沖縄に国はどのような責任を持つのか。1970年(昭和45年)5月20日付で琉球政府は「山中総務長官に対する要請書」を提出。沖縄開発のため、国務大臣を長とする沖縄開発庁を設置して、現地沖縄に沖縄開発局を設置していただきたい─という内容である。

沖縄開発庁構想には賛否両論があった。琉球政府の国家行政は各省庁にまたがる。各省庁は独自の出先機関を置く予定で反対していた。沖縄の大衆運動家からも反対の声が出始めた。返還後の沖縄に強力な国家機関ができると第2の米国民政府(USCAR)になるとの懸念だった。

沖縄現地に国の強力な『総合事務局』を設置することについて、日本政府と交渉に当たった琉球政府副主席・瀬長浩は現地の情勢について次のように話す。
「中央政府の『代官所』または『第2の米国民政府』になり沖縄の自治を大きく後退させるものだという」

さらに語る。「県民の利便を最優先して(各省庁の)管区機能を置くことを第一に考えたが、その点についても権限を知事に委譲し、それができないものは個別出先機関に委任せよ」というものであった。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:03| 日本政府の復帰対策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする