2017年01月20日

沖縄復帰特例(酒税)の政治利用(39)

沖縄復帰特例(酒税)の政治利用(39)
〜政治利用の不条理を突く〜

■復帰特別措置の精神
昭和46年11月10日、衆議院「沖縄及び北方問題に関する特別委員会」。総理府総務長官・山中貞則は日本の閣僚として初めて沖縄県民に謝罪した。沖縄復帰関連法案の説明途中で涙ぐんでいた。

委員会は静まり返った。われわれ日本国民及び政府は、この多年にわたる忍耐と苦難の中で生き抜いてこられた沖縄県民の心情に触れ、涙声で復帰特別措置の内容について説明した。沖縄の戦後の歴史と祖国復帰を叫び続けてきた沖縄県民に陳謝した。

歴史的大事業の意義について語るときはハンカチで目頭を押さえていた。沖縄復帰の目標は「明るく豊かで平和な沖縄県の建設である」と述べた。県民の不安や動揺をきたさないよう国がすべての責任を持つと約束した。

特別措置の理由は、@沖縄戦で焦土と化し、数十万人の尊い生命が失われたこと、A戦後27年、米軍支配下に置かれたこと、B本土から遠隔地にあること、C多数な離島からなり不利な条件下にあること・・・など説明していた。

沖縄県民の心情に深く思いをいたし、本土と差別のない沖縄県の建設に触れた。格差是正が喫緊の課題とされた。米軍制度の制度から日本の制度への移行に当たり特別措置の必要性を語った。

復帰特別措置の関連資料は那覇市与儀にあった沖縄北方対策庁沖縄事務局が担った。初代局長は自治官僚の岸昌。山中・岸ラインでスタートした。跡地に那覇警察署が移転し、日本政府「南連」の石碑が建立されている。

復帰時の懸案事項は、治安、運輸、外国資本の取扱い等であった。治安対策として警察庁から参事官が赴任。交通問題(車は右側通行)は運輸省から参事官、外資導入の取扱いについては通商産業省から参事官が派遣され、日米琉諮問委員会の参事官も兼務していた。沖縄の夜明けの扉を開く意気込みで情熱があった。

米国民政府との折衝は自治官僚・小林悦夫が担った。沖縄の功労者である。
歴史の過渡期には、人の巡り合わせがある。復帰対策の絶妙なチャンスを沖縄に与えてくれた。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:29| 日本政府の復帰対策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする