2017年02月15日

■復帰時の沖縄予算の裏面史(10)

■復帰時の沖縄予算の裏面史(10)

米軍統治下の沖縄には食糧管理制度はなかった。民間企業が外国から自由に米を輸入し販売していた。復帰前の沖縄の米価は本土よりかなり安かったので、食管法を適用し価格を本土並みに引き上げると家計を圧迫するため、段階的に引き上げる暫定措置が採られた。

食糧管理制度を沖縄に適用し、米の消費者価格、生産者価格については、復帰後も一定期間、復帰時の水準を維持し、将来本土と一体化することとした。

復帰時の1972年度予算沖縄開発庁一括計上予算で「食糧管理特別会計繰入」として11億円が予算化されたのである。

沖縄復帰対策諸費として新規に「糖業振興臨時助成費」が予算化された。糖価価格差補給金として3億2千万円が計上。臨時糖業干害対策として1億円を計上し、政府は沖縄の農業振興に取り組んだのである。

1959年琉球政府は「糖業振興法」を制定、砂糖生産、砂糖貿易を振興。沖縄産糖については、「南西諸島物資」として特恵措置や原料売買価格の設定製糖業、砂糖輸出業は許認可制が採られていた。1972年の復帰の時点で「甘味資源特別措置法」が適用された。

沖縄の分蜜糖については、価格安定策として糖価安定事業団は、輸入価格より高い価格で買い入れていたが、砂糖価格差補給金が新規に予算計上された。
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2017年02月14日

■復帰時の沖縄予算の裏面史(9)

■復帰時の沖縄予算の裏面史(9)

1972年度沖縄振興開発関係費は10.5か月予算である。沖縄開発庁に計上された予算は762億円。そのうち復帰対策諸費は366億円で261億円は通貨切替対策費である。復帰対策として糖業振興臨時助成として10億円が使われた。

特筆されることは、復帰対策諸費として「らい患者特別給与」4,500万円が沖縄開発庁予算に計上されたことである。予算項目に「らい患者」という表記があるが差別用語ではないかと思う。

ハンセン氏病療養所について述べる。米軍政下の沖縄は琉球政府立沖縄愛楽園、宮古南静園は復帰の日から国立療養所となった。ハンセン氏病は国の責任で治療が行われていたが、沖縄は琉球政府が診療所を管理していた。米軍政下にあり本土から分断された沖縄の悲劇があった。1962年度以降は医療援助として学童検診を行っていた。

沖縄返還時(1972年)のハンセン氏病患者は、全国11196人、沖縄1940人で沖縄は全国の17%を占めていた。新患者数は全国117人、沖縄70人で全国の60%。

ここにも医療体制が十分でない分断された沖縄の悲劇があったのだ。混乱した復帰時の1972年度予算で暫定的に沖縄開発庁が予算計上したのである。
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2017年02月13日

■復帰時の沖縄予算の裏面史(8)

■復帰時の沖縄予算の裏面史(8)

1972年度予算は第1沖縄振興開発計画の初年度である。敗戦後分断された沖縄に対し、日本政府は1963年度に初めて財政援助を開始した。戦後沖縄の復興は米国援助に依存。米国は廃墟と化した沖縄に道路建設、ダム開発、電力供給、民生安定事業等の社会資本を中心に財政を投入した。

沖縄は日米両政府の援助によって支えられていた。米軍統治下の沖縄に米国政府は1649億円の財政資金を投下。日本政府の財政援助額は1232億円だった。(財政援助の割合は米国57.6%、日本政府42.4%)。

米軍政下の沖縄は米軍基地の75%を負担していたが、日本政府の財政援助は国家予算の0.2%だった。27年間の米軍統治下の沖縄は、日本の法律は適用されず、社会資本、生活基盤の整備は遅れ、全国との所得格差を抱えたまま復帰したため、復帰後は全国平均を大幅に上回る高失業を生みだした。

わが国の安全保障に貢献し、日本の経済成長を支えてきたが、国の財政援助は17年間放置され、制度から見放され、多くの格差を生む原因となった。

沖縄・北方対策庁沖縄事務局で復帰対策に携わった時の議論は、社会保障制度、医療体制の整備拡充、文教施設の拡充強化等本土との格差是正、制度の整備についての復帰対策措置の有効性であった。

沖縄経済の開発と産業基盤の整備、離島振興を図るため、復帰記念主要島嶼一周道路整備事業は復帰までに財政が投入された。
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