2017年02月02日

■復帰時の沖縄予算裏面史(1)

■復帰時の沖縄予算裏面史(1)

沖縄北方対策庁は使命を終え閉鎖されることになった。1970年5月1日に発足し、1972年5月14日に看板が下ろされた。2か年間で沖縄復帰対策が完了した。翌15日から沖縄開発庁が発足し、日本政府の沖縄振興策が歩むことになる。

「日本政府南方連絡事務所」が設置されたのは、日本が独立した直後の1952年7月1日である。GHQが介入していた。

南連はその後、「日本政府沖縄事務所」に改組し、技術援助、沖縄財政援助が本格化する。

日本政府が沖縄財政援助を開始したのは、自らの意志ではなかった。その背景には米国の意向があった。1962年ケネディ大統領は「沖縄新政策」を発表。日本政府に沖縄財政援助を要求。1962年9月13日、「日本政府の琉球政府に対する財政援助」を閣議了解する。

閣議了解された沖縄財政援助文書の写しが私の手元にある。援助内容は、@琉球政府の諸施策、事業水準を本土並みに引き上げ、住民の所得の向上に努める、A沖縄に「日米琉諮問委員会」が設置し、沖縄住民の意見を反映して実施する─ことを明らかにしている。

1972年5月15日、沖縄は祖国へ復帰したが、沖縄予算はどうするか?
沖縄開発庁が動き出した。復帰初年度の1972年度沖縄予算は日本の財政史にとって例がない。4月1日から5月15日までは米軍政下であるので1.5か月は日本政府財政援助金「沖縄復帰対策費」として沖縄北方対策庁が一括計上。日米琉の合意によって執行されたのである。

1972年度沖縄予算は、日本国民として扱われる意義ある予算である。米軍政下の財政援助金プラス沖縄振興予算としての性格を有する。沖縄の特殊な地位を反映したものだ。

復帰時の5月15日から10.5か月予算は沖縄開発庁が計上。次回にその内容について話す。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:53| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする