2017年02月16日

■復帰時の沖縄予算の裏面史(11)

■復帰時の沖縄予算の裏面史(11)

沖縄復帰で道路の通行区分、交通方法の変更が問題となった。沖縄復帰対策要綱では、車両及び歩行者の通行区分は一定期間、現状どおり(車両は右、歩行者は左)とすることとしたが、本土並みにする必要があった。

沖縄は米軍支配下にあり、「車は右側通行」のアメリカ式の交通方法であった。道路交通に関する国際条約では1国1交通方法が原則である。右側交通から左交通に変わると、例えば、右側にある店や専門店は、バスや車の乗降位置が変わり買い物には支障をきたすことになる。ガソリンスタンドの位置も逆になる。補償問題が出たが、財政的対応は不可能であった。

右側通行からいきなり左側通行となると、人間の習慣はそう簡単には変えられないという意見もあり、暫定期間を置くこととした。国際条約では1国で1交通方法となっている。

1972年度の復帰時の予算で沖縄交通事業助成費として1億2838万円、道路整備費98億7千万円が予算化された。

1977年(昭和52年)9月20日、「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律第58条第1項の政令で定める日を定める政令が交付され、沖縄県の交通方法変更は1978年(昭和53年)7月30に実施され、日本土並みに「車は左側通行」に切り替えられた。

7月30日午前6時、全国の県警から応援を求め、沖縄県内の全ての道路に警察官が張り付き、「右側通行から左側通行」変更された。当日はドライバーの不慣れから接触事故が多発した。


posted by ゆがふ沖縄 at 00:03| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする