2017年04月28日

検証・沖縄大使(5) 検証・沖縄大使(5)

検証・沖縄大使(5)

1970年5月1日、「沖縄復帰のための準備委員会への日本国政府代表に関する臨時措置法」が制定された。この法律は、沖縄の日本国への復帰準備に関する日本国とアメリカ合衆国との間の合意に基づいて沖縄島那覇に設けられる準備委員会への日本国政府代表を長とする代表事務所の設置及びその任務等を定め、日米琉諮問委員会は復帰準備委員会へ組織が変わった。

外務省の機関として、沖縄復帰準備委員会日本国政府代表事務所が置かれ、沖縄大使に高瀬侍郎が就任する。

沖縄大使・高瀬侍郎は東北帝国大学卒業、外務省入省。外務省外務大臣官房審議官を務め、1962年(昭和37年)駐セイロン特命全権大使、1966年(昭和41年)駐ビルマ特命全権大使、1968年(昭和43年)日米琉諮問委員会日本国政府代表(沖縄大使)として那覇に赴任。

日米琉諮問委員会は、1970年(昭和45年)沖縄復帰準備委員会に組織が変わり、高瀬侍郎は日本政府代表・沖縄大使として復帰対策にかかわることになる。

高瀬は1972年(昭和47年)沖縄復帰時に外務省顧問、1975年沖縄国際海洋博覧会日本政府代表を務める。

代表事務所は、準備委員会において日本国政府を代表し、同委員会を通じて行なう沖縄の復帰準備に関し必要な事項につき、在沖縄アメリカ合衆国政府機関との協議に当たることを任務とした。

復帰準備委員会は産業経済、施政権移転、地位協定、総務の4小委員会を設置。主要な議題は、米国民政府の諸機能を施政権返還の前に琉球政府や日本政府に移すことであった。

琉球政府に対する財政援助については、日本政府の意向も反映され、沖縄財政援助は復帰対策を中心に拡大していった。

復帰準備委員会の権限はかなり限定され、対米放棄請求権、土地の復元補償、軍用地、土地裁判所訴願事案の処理、米国からの資産引き継ぎ、毒ガス撤去など沖縄側が重視した問題はほとんど権限外として正式議題として取り上げることはなかった。

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2017年04月27日

検証・沖縄大使(4)

検証・沖縄大使(4)

閣議決定内容を掲げる。
日本本土と沖縄との一体化に関する基本方針について
昭和43年11月5日 閣議決定

1 沖縄の本土復帰に備え、本土と沖縄との一体化は明年度以降おおむね三箇年で完了するものとする。

2 一体化の対象としては、特に教育、社会福祉、産業基盤、市町村行財政等に重点を置くものとする.

3 明年度の対沖縄財政援助は、一体化推進の線にそって拡充するものとする。

4 本土、沖縄の一体化施策の推進に当たっては、予想される沖縄経済の急激な変動をさけるため、必要な暫定措置を検討するものとする。

5 沖縄住民の有する日本郵便貯金等に関する債権については、可及的すみやかにその解決を図るものとする。

1968年12月12日、「沖縄及び北方問題に関する特別委員会」で総理府総務長官・床次徳二は、一体化施策のこの方針のもとに、明年度以降おおむね三カ年をもって、行政各般にわたり、本土と沖縄との間に横たわる諸種の障害を着実に取り除くためのきめのこまかい財政上、制度上の一体化施策を総合的計画的に実行に移すと明言。

沖縄住民とその制度の日本本土との一体化を完了し、本土復帰の準備体制を整えていく所存であると述べた。

そしてさしあたり、明年度の沖縄援助費については、一体化推進の線に沿って、日米琉諮問委員会の勧告、日本政府一体化調査団の調査結果及び従来の財政援助の推移、効果等を勘案しながら、行政各般にわたり一体化施策推進に必要な経費、特に教育、社会福祉、産業基盤整備、市町村行財政等の面について重点を置きながら従来に比し大幅に拡充する方向を示した。

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2017年04月26日

検証・沖縄大使(3)

検証・沖縄大使(3)

1968年12月12日、「沖縄及び北方問題に関する特別委員会」の資料が私の手元にある。1970年5月、沖縄北方対策庁沖縄事務局が発足し、当時の幹部が保管していた資料のコピーである。

総理府総務長官・床次徳二の発言も綴られている。沖縄の祖国復帰作用が本格化する、
「近い将来返還の時期についてめどをつけるため、日米間の外交折衝が進められ、まず復帰の時期について明確な合意に達することこそが全国民の総意に沿い得る道であると確信する」・・・沖縄へ向き合う床次の言葉だ。

沖縄の耐える歴史への配慮を滲ませた言葉もあった。
「復帰の時期を迎えるまでの間、復帰の際の摩擦を最小限にするため、引き続き、沖縄の住民とその制度の本土との一体化を進め、沖縄住民の経済的、社会的福祉を増進するための措置を強く推進していく」。

本土と沖縄の一体化をはかるための措置として、沖縄援助費を逐年増大していく。1968年度において153億円余と、前年度の103億円余に比べて、大幅に増額された。

このほか、沖縄籍船舶の日の丸相当旗の併揚、沖縄住民の本土及び海外渡航の際の渡航文書を日本政府が発給、海外における沖縄住民の保護及び海外移住の事務の責任を日本政府が第一義的に行なうこととされた。

沖縄及び本土間の渡航手続の簡素化、輸出入手続の改善、失業保険金の相互給付等々の施策も掲げた。

1967年11月の第二回佐藤・ジョンソン会談を契機として、沖縄と本土との一体化は、日米間の合意として沖縄の本土復帰に備え強力に推進された。

1968年3月1日、那覇において日米琉三政府の代表によって構成される高等弁務官に対する諮問委員会が発足した。すでに述べたが、同委員会は、発足以来、一体化のための必要な措置について47項目の勧告を行なっている。

日米琉諮問委員会の勧告及び日本政府一体化調査団の調査結果等を踏まえ、1968年11月5日、「日本本土と沖縄との一体化に関する基本方針」が閣議決定された。
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