2017年04月17日

沖縄予算一括計上の本質㊲

沖縄予算一括計上の本質㊲
〜敗戦後の財政援助から沖縄予算へ

今回から予算の一括計上と沖縄予算について述べる。
復帰時に沖縄予算は、一括計上と高率補助の制度設計がなされた。

振興開発事業費は「沖縄開発庁設置法」と「沖縄開発庁経費配分計画政令」に基づきスタートした。当時、大蔵省は反対していた。総理府総務長官・山中貞則氏が「沖縄への償いの心」として制定した経緯がある。

27年間の米軍支配は少なくとも30年間は国がすべての責任を負うことでスタートしたが沖縄は本土並み水準に達していなく、基地問題をはじめ経済・社会・福祉等多くの課題を抱えており、現在まで振興計画が続いている。

沖縄開発庁は30年の歴史に幕を閉じ、2001年1月、沖縄行政は内閣府沖縄担当部局に移管された。沖縄開発庁の権限は内閣府に引き継がれ、沖縄予算は、「内閣府設置法」、「内閣府経費配分計画政令」に基づき、内閣府が一括計上している。

一括計上の対象事業は、道路、港湾、空港、治山、治水等の公共事業のほか、文教、医療等関係の施設整備、その他沖縄の特殊事情等に対処するために必要な事業が含まれている。

一括計上された予算は、それぞれの事業を実施する所管省の一般会計へ移し替え、または特別会計へ繰り入れて執行される。
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2017年04月14日

沖縄予算一括計上の本質㊱

沖縄予算一括計上の本質㊱
〜敗戦後の財政援助から沖縄予算へ

すなわち、「残された格差の是正と自立的発展の基礎条件整備を進める」とともに、「広くわが国の経済社会及び文化の発展に寄与する特色ある地域として整備を図り、世界に開かれた豊かな地域社会の形成を目指していく」ことが今後の沖縄振興を進めていく上での基本理念となった。

2次振計の期間中に投入された財政投資と評価について触れておきたい。この期間の沖縄開発庁予算の総額は2兆2281億円。そのうち沖縄振興開発事業費は2兆149億円でこのうち公共事業費は1兆808億円であった。

沖縄振興予算の特徴は、国土交通省、農林水産省等に係る公共事業関係費のほか、非公共の文教施設費、さらに沖縄の特殊事情等に対処するための経費(位置協会明確化、不発弾処理、対馬丸関係等)や沖縄振興開発金融公庫補給金等の諸経費を計上している。

コストパフオーマンスを見てみよう。人口は111万人から122万2千人に増加した。計画では人口は120万人設定したが目標を達成した。期間中に毎年0.8%人口を増加する計画であったが毎年1%ずつ人口は増加したことになる。

1次産業の就業者の比率は産業全体の14%を占めていたが計画では12%に減らし、減った分2次産業、3次産業に雇用を拡大する計画であった。実際1次産業の就業者は14%から10%に減った。農林水産業に雇用の比重は置かなかった。沖縄の食糧自給率は改善されなかった。遊休農地も増えた。政策論として経済フレームの設定に問題がなかったか自己反省すべきだろう。

産業構造はどうか。1次産業の総生産は県内総生産の6%であるが、10年間そのまま維持するとした。就業者の比率を減らす計画に矛盾が見られる。実績は6%から1.2%になった。

農林水産業の振興を掲げながら矛盾が吹き出た結果となった。沖縄開発庁の官僚が沖縄の現場を知らずに鉛筆をなめて作った経済フレームの実体だ。

第2次産業の生産額は22%だった。計画は沖縄の自立的発展、県民所得格差を掲げた。達成目標として24%に設定した。実績は19%だった。1人当たり県民所得は全国の65.8%の水準だ。沖縄振興開発事業費は2兆149億円の財政資金は機能したのか。財政投資の費用対効果の実証的分析はおこなわれていない。

専門委員会に話を戻そう。沖縄開発庁の調査審議、沖縄振興法の総点検作業、沖縄振興総合調査の結果、さらなる沖縄振興の継続が必要とされた。沖縄開発審議会の審議の結果は、内閣総理大臣に第3次沖縄振興の必要性を意見具申する運びとなった。その結果は、1992年3月27日、「沖縄振興開発特別措置法の一部改正」及び「第三次沖縄振興開発計画」策定につながった。

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2017年04月13日

沖縄予算一括計上の本質㉟

沖縄予算一括計上の本質㉟
〜敗戦後の財政援助から沖縄予算へ

沖縄振興計画は、沖縄振興特別措置法では沖縄県知事が原案を作成し、内閣総理大臣が決定する仕組みになっている。沖縄現地では沖縄総合事務局と沖縄県が密接に協議し情報交換を行っていた。当時私は、沖縄総合事務局で沖縄振興を担当していた。

沖縄総合事務局を巡っては、県にとっては中二階的な存在になっているという声が聞かれていた。地方分権の制度的枠組みとして「沖縄開発庁不要論」が出ていた。格差是正を優先したため国、県、市町村の役割分担という観点からこのような意見が出ていたのだろう。

沖縄開発庁本庁と総合事務局が一体となって振興事業費について県と調整していたが、県幹部から沖縄開発庁不要論が出ていたことには驚愕した。沖縄にとっては不幸な出来事であった。

沖縄総合事務局は、沖縄振興のワンストップセンターの機能を果たしていたからだ。1千人単位の職員を抱え、沖縄振興、直轄事業、戦後処理として復帰後の沖縄に果たした役割は大きい。

県幹部から出た「沖縄開発庁不要論」についてブログで書いたら、当時、沖縄開発庁でかかわっていた職員から意見が寄せられた。

今回は、2次振興計画後期の課題についての議論を当時の日誌から書くことにする。

1985年夏だった。国の沖縄振興開発審議会総合部会が開催され、同部会に専門委員会を設置し、「第2次沖縄振興開発計画の展望と戦略について」調査・審議を行うこととなった。

専門委員会では二年の歳月をかけて@沖縄振興の現状と問題点、A人口及び経済フレームの見通し、B2次振興計画の課題と方策が調査・審議されたが、その取りまとめはひとえに教授のご功績によるものと言っても過言ではない。当時1987年に行われる海邦国体以後の2次振計後期(1987年度〜1991年度)において政府の財政事情等から考えても、財政支出の落ち込みが予想され、沖縄経済への影響が懸念されていた。

沖縄経済を特徴づけているのは、基地依存型・公共投資依存型経済だ。このような状況から沖縄経済の自立化を図るための産業の振興が緊急の課題とされた。

2次振計後期においては、主要プロジェクトを発掘し、財政の落ち込みを食い止めていくことが重要な課題とされた。そのために自立的発展を支える産業基盤整備へ全力投球していく必要性が指摘された。同じく沖縄の地域特性を活かした産業振興の方向づけについても模索された。

議論の主軸は、1次、2次振計における沖縄振興開発の現状と課題の総括と、併せて2次振計終了後の沖縄の経済社会を展望した沖縄振興開発の進め方に置かれた。

検討結果は、わが国全体の中で沖縄の有する特別な位置づけに思いを致すとき、ボーダレス化の進展とともに沖縄の地理的有利性が増してきており、沖縄の自立的発展は単に一地域としての発展にとどまらず、広くわが国全体の発展に積極的に寄与していくことができる可能性を有しているということであった。

したがって今後は、沖縄の特性を十分に活用し他の地域では容易に求めることのできない種々の特色を有する地域として、亜熱帯農業、情報通信産業等の産業の振興、学術・文化・経済等の交流拠点、国際的規模の観光・保養地域を形成すること等により、県民福祉はもとより、わが国経済社会の中で沖縄が果たし得る役割を発揮する必要があるということであった。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:36| 宮田裕の「沖縄振興論」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする