2017年04月07日

沖縄予算一括計上の本質㉛

沖縄予算一括計上の本質㉛
〜敗戦後の財政援助から沖縄予算へ

1次振興計画でなぜ企業が立地しなかったか。その一因は、工業化に必要な社会資本の未整備、工業用水、電力の調達が難しかったことにある。

沖縄は祖国に復帰し1次振興計画は策定されたが、日本経済は石油危機を契機に、低成長戦略へシフトし生産基地の必要性がなくなったからだ。

日本の企業にとって沖縄は眼中になかったのだ。プラザ合意以来、円高の進行で日本の製造業は賃金の安い海外へ移転し、沖縄の工業誘致政策は完全に失敗したのである。

振興計画の産業振興は停滞したのだ。経済情勢の変動により、沖縄への企業進出意欲は減退した。

当時、沖縄では公害、自然環境問題等価値観変化により企業進出への拒否反応もあった。松下電器は糸満市に工業用地を確保したが進出を断念した。復帰直後の労働争議への不安や企業誘致に対する沖縄県庁の取組の弱さもあった

特別措置として設けられた工業開発地区、自由貿易地域が十分活用されなかったことも一因がある。1959年10月、高等弁務官布令で自由貿易地域が設置された。米軍は自由度を与え、沖縄のドル確保へ寄与した。1972年日本復帰して、沖縄振興開発特別措置法において沖縄自由貿易地域が法制化されたが、関税法の枠組み運用で外国でいう自由貿易地域と本質が違う。

専門委員会で議論されたのは、日本経済に組み込まれたが市場、技術、経営に関する情報収集力、労働生産性の弱さも指摘された。

雇用、失業問題は深刻であった。工業立地が進まず、県内雇用の場が困難な状況にもかかわらず県内就職志向、本土就職者のUターン、進学率の低下などから若年者の高失業をもたらした。基地雇用解雇も大量に発生した

工業重視の振興計画の経済フレームに無理があったのだ。


posted by ゆがふ沖縄 at 00:05| 宮田裕の「沖縄振興論」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする