2017年04月11日

沖縄予算一括計上の本質㉝

沖縄予算一括計上の本質㉝
〜敗戦後の財政援助から沖縄予算へ

2次振興計画後半だった。3次振興計画が議論されていたが、摩訶不思議なことが起こった。沖縄県庁から「沖縄開発庁不要論」が出たのだ。

沖縄開発庁は沖縄振興の推進機関として設置された役所だ。沖縄振興計画の作成、沖縄振興予算の一括計上、戦後処理問題を所管する。1997年10月4日、琉球新報は、県首脳が「沖縄開発庁不要」発言を報じた。

沖縄県庁幹部の発言は沖縄に衝撃を与えた。

東京発の報道だった。沖縄開発庁統廃合問題で、行政改革会議の水野清事務局長(首相補佐官)が、県首脳の発言を根拠に「県側には開発庁存続の意向がない」とする内容を、公式・非公式の場で再三話していると報じた。

発言したとされる県首脳は「100パーセントそのような事実はない」と、全面否定。しかし、県首脳の同発言は行革会議による沖縄開発庁からのヒアリングや、地元沖縄からの存続要請の際に持ち出されたと報道。

3次振興計画を検討して最中に復帰プログラムを否定する。この記事を読みながら、驚愕した。

行革での沖縄開発庁の取り扱いについて、県は当初「中央省庁全体が再編される問題であり、県が開発庁問題だけで発言する段階でない」として、「静観」していたとも報道。

琉球新報は、水野事務局長の取材内容を可視化して紙面化したと思われる。報道によれば、1996年11月以前に複数の与党幹部が同席した非公式の会合で、県首脳は「沖縄開発庁は役割を終えた。開発庁の抱える振興費は、沖縄県のフリーハンドで使えることが効果的だ」など、開発庁存廃に関して意見を述べたという。この発言を根拠に、水野事務局長は再三「開発庁不要論」を県の意向として話していると証言する。

1997年6月の行革会議による省庁ヒアリングでは、組織存続を主張する沖縄開発庁に対し、「所掌事務も広く、進歩している」と評価する一方で、「3000億円は県に直接入れたいとの声も聞くが、そうした空気が県庁にあるのか」とただす場面があったという。

9月上旬に、経済団体、労働団体が初めて統一で存続要請活動を行った際にも、行革会議側は「県は『開発庁は役割を終えた』と話していた」と述べるなど、全県的運動の腰を折る形ではね返っている。

参加した要請団の1人は「過去の振興策から(県の)本音が出たと思う」としながらも、「廃止となれば沖縄振興が解決した印象を与え、今後に影響する。重大な発言だ」と懸念を示す。

県は、行革会議が集中審議に入る直前の8月半ばになって「開発庁の機能強化」を打ち出したが、早い段階から一丸となって北海道開発庁存続の運動を展開してきた北海道庁とは、対照的な動きとなっていた。
(1997年10月4日、琉球新報報道内容)

次回は、沖縄開発庁の3次振興計画に向けた取り組み状況について明らかにする。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:06| 宮田裕の「沖縄振興論」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする