2017年04月25日

検証・沖縄大使(2)

検証・沖縄大使(2)

1967年11月、第二回佐藤・ジョンソン会談の合意により1968年3月、本土と沖縄の一体化推進を目的に琉球列島高等弁務官の諮問機関として、「日米琉諮問委員会」が那覇市に設置された。

1968年5月、日本政府は「沖縄島那覇に駐在する諮問委員会の委員となる日本国政府代表の設置に関する暫定措置法」を制定する。

米軍政下の沖縄に「日本国大使」を置く法的根拠だ。この法律は、日本国政府、アメリカ合衆国政府及び琉球政府をそれぞれ代表する者をもつて構成され、沖縄の復帰に備え、本土との一体化を進めるとともに、沖縄の住民の福祉等を増進するため、沖縄の社会的経済的諸問題及びこれに関連する事項に関し、琉球諸島高等弁務官に対して、助言し、及び勧告することを目的とした。

諮問委員会の委員は日米琉3政府代表(高瀬侍郎沖縄大使、ローレンス・C・バース米国駐日大使館公使、瀬長浩琉球政府副主席)で構成。範囲は経済開発、教育、保健・福祉の3分野に限定され資格免許の一体化、国と県事務の分離など47項目の勧告が行われた。基地被害や人権侵害など県民は訴えたが政治問題は除外された。沖縄大使が置かれたが壁は厚かった。

日米琉諮問委員会設置を受け、1968年12月12日、沖縄及び北方問題に関する特別委員会が開催された。

総理府総務長官・床次徳二は沖縄の施政権返還問題は、わが国が当面する日米外交上の最大の課題であると所信を述べた。沖縄の祖国復帰は、百万沖縄住民はもとより、一億日本国民の強い念願と語った。佐藤総理が所信表明演説において、沖縄の早期返還を実現するとの決意についても強調した。

委員外の出席者として、総理府特別地域連絡局参事官・加藤泰守が国会に呼ばれた。加藤はその後、沖縄北方対策庁沖縄事務局長になり、沖縄開発庁事務次官を務める。

沖縄勤務中の加藤は現地職員と開襟を開いて懇談していた。沖縄をフォローする態勢で本土・沖縄一体化を試みていた。沖縄を重視したのも加藤だった。職員はうなずいて聞いていた。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:32| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする