2017年05月02日

検証・沖縄大使(7)

検証・沖縄大使(7)

■復帰後の沖縄大使設置の背景@
復帰23年を経過した沖縄で、痛ましい事件が起こった。米兵が女子小学生をレイプしたのだ。この事件は日米両政府を直撃した。米軍政下の悪夢の再現が県民の憎悪を駆り立てて社会問題化し、政治問題に発展していく。反基地闘争に火が付いたのだ。

1995年9月4日だった。沖縄本島北部で米兵による少女暴行事件が発生、沖縄の怒りが爆発した。9月28日、大田昌秀知事は県議会において、駐留軍用地の収用手続きに伴う「代理署名」拒否を表明。10月21日、「米軍人による少女暴行事件を糾弾し、日米地位協定の見直しを要求する沖縄県民総決起大会」が開催された。

11月17日、「沖縄米軍基地問題協議会」の設置を閣議決定。復帰後、沖縄問題が日米両政府を震撼させる事態に発展していく。11月19日、村山総理はゴア副大統領と会談し、「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」の設置が合意されたのだ。

1996年4月12日、橋本総理・モンデール駐日大使共同記者会見で普天間飛行場の全面返還を発表する。4月15日、日米安全保障協議委員会において「SACO中間報告」が了承された

あの痛ましい米兵による少女暴行事件。沖縄の怒りは頂点に達し、反基地、反米闘争に発展した。日米両政府の最重要課題として「沖縄問題」が浮上したのだ。

沖縄民族の怒り、米軍政下の島ぐるみ闘争の再現を恐れたのだろうか。日本政府が動いた。4月16日、「SACO中間報告」を受けて、「沖縄県における米軍の施設・区域に関連する問題の解決促進について」閣議決定したのだ。

5月8日、「普天間飛行場の返還に係る諸問題の解決のための作業部会(タスクホース)」が設置された。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:04| ◆「時の動き」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする