■沖縄の特殊事情に伴う特別対策(1)
対馬丸遭難学童の遺族に対する特別給付金@
沖縄の戦後処理事業として対馬丸遭難者等特別対策が実施された。対馬丸関連事業の経緯について取り上げる。
1944年8月22日、沖縄から九州方面への疎開学童等1788名を乗せて航行中の疎開船対馬丸は、鹿児島県悪石島沖で米軍潜水艦の攻撃を受けて沈没し、学童784名、引率教師30名、付き添え者668名、計1482名が戦死した。
死没者の遺族から準軍属として処遇すること(年金の支給)、船体を引き揚げて遺骨を収集すること等の要望が出された。
遺族からの年金の支給要望に対し、国は戦傷者戦没者遺族等援護法の適用は困難であるとして1962年と沖縄復帰時の1972年に見舞金を支給した経緯がある。
しかし、対馬丸遭難者遺族会からは、遺族年金の支給を求める声が強く厚生省(当時)は1977年度概算要求の中で特別給付金を要求した。これが予算決定の段階で沖縄開発庁(当時)に対馬丸遭難学童遺族特別支出金として支給されることとなり、以後、毎年度予算に計上されている。
1977年10月1日、「対馬丸遭難学童の遺族に対する特別支出金の支給に関する要綱」が定められ、これにより、対馬丸の沈没の際に死亡した沖縄の疎開学童の遺族に対し、戦傷者戦没者遺族等援護法の定める遺族給与金の2分の1に相当する額が支給された。