2017年07月20日

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(37)

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(37)

■沖縄振興に10兆9,403億円

復帰後、政府は沖縄振興事業費として10兆9,403億円投入した。その内訳は下記のとおりだ。

第1次沖縄振興開発計画(1972〜1981)⇒1兆2,483億円
第2次沖縄振興開発計画(1982〜1991)⇒2兆149億円
第3次沖縄振興開発計画(1992〜2001)⇒3兆4,639億円
沖縄振興計画(2002〜2011)⇒2兆4,610億円
沖縄21世紀ビジョン基本計画(2012〜2017)⇒1兆7,522億円
          計⇒10兆9,403億円*2017は当初予算

国から11兆円近い振興事業費が投入したが、沖縄はどう変わったか、検証する。

[1]沖縄振興計画は人口増加計画だった。
沖縄県の人口は復帰当時(1972年)97万人だったが、2017年は144万7千人に増加した。復帰後、人口は47万7千人増加したことになる。復帰後の人口増加率は49%で全国の18%を大きく上回る。

復帰直前、沖縄の人口は減少していた。1970年の沖縄県の人口は945,111人であったが71年は939,742人に減少(▲5,369人)したのだ。

復帰したら本土・沖縄間の渡航が自由になり、沖縄県の人口は70万人台まで減少するという意見が多数を占めていた。

第1次振興開発計画の企画立案に際し、初代沖縄開発庁長官・山中貞則は、復帰後の人口減少を食い止め、過疎県に転落しないために人口誘導政策を事務方に指示した。

大臣は「第1次沖縄振興計画は、人口増加政策を基本にせよ」ということであった。「戦前の沖縄は、日本一貧乏県だった。沖縄戦で県土が破壊され、米軍支配の暗い過去がある。復帰後の振興計画は産業基盤の整備を早急に展開しながら、人口を増加し豊かな沖縄県をつくることだ」─振興計画は人口フレームを重視した。

山中大臣は、「経済の再建は質的にも量的にも人でなければならない。沖縄が過疎県に転落するようなことがあったら、沖縄振興計画は絵にかいたもちに終わるだろう、ということは復帰の担い手がいないという島にしてはいけない」という言葉を口にして人口増加計画を指示していた。

振興計画の人口フレームは100万人を超える目標を掲げたが、1次振計以降、4時までの振興計画で人口は目標を超えている。復帰時に97万人だった人口は、145万近くまで増加したことは、当時の議論からは想定外だったのである。

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