2011年11月25日

山中長官の謝罪

シリーズ 「軍統治下の沖縄政策」(9)

<山中長官の謝罪>

1970年5月、沖縄・北方対策庁沖縄事務局発足式で総理府総務長官・山中貞則は、日本の閣僚として初めて沖縄県民に謝罪した。沖縄事務局職員に対し、敗戦後の沖縄の歴史に触れ「復帰対策の基本は県民への“償いの心”が原点だ」と述べた。「日本政府は贖罪意識≠キなわち償いの心≠持って沖縄の復帰に全責任を持つ」と明言した。

沖縄は先の大戦で最大の激戦地となり、さらに戦後引き続き四分の一世紀余の長きにわたり我が国の施政権の外に置かれてきた。沖縄県民の方々の心情を深く思い、県民への償いの心をもって祖国復帰という歴史的な大事業の達成に全力を尽くす・・・大臣訓話は職員を奮い立たせた。

「諸君は今、非常に苦しい試練の時期であるが、沖縄復帰という輝かしい未来に向かって復帰対策には万全を期して対処せよ」・・・大臣訓示は職員に大きな感動と勇気を与えた。復帰作業は急ピッチで進められた。

1971年11月に召集された「沖縄及び北方問題に関する特別委員会」で「沖縄振興開発特別措置法案」「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律案」「沖縄開発庁設置法案」等復帰関連法が提出された。総理府総務長官・山中貞則は立法趣旨説明で戦後沖縄の歴史認識に触れ沖縄県民への「償いの心」を強調した。
posted by ゆがふ沖縄 at 01:28| Comment(0) | 米軍統治下の沖縄政策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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