2012年02月03日

沖縄離れする総合事務局

■沖縄離れする総合事務局
     ─
風化した振興行政─

 沖縄振興の原点は県民への「償いの心」である。初代沖縄開発庁長官・山中貞則先生の言葉である。戦後27年間、米軍施政権下にあった沖縄に考慮し、沖縄振興を推進する国の行政機関として沖縄総合事務局が設置された。復帰後の沖縄政策に関する国の責任体制を明確にしたものだ。

立ち遅れた道路、空港、港湾など社会資本整備で総合事務局の果たした役割に県民の評価も高かった。


 復帰後40年になると復帰の原点を知らない世代の台頭、沖縄を理解しない官僚たちの対沖縄認識に変化も見られるようになった。

 琉球大学の学生から、次の相談が寄せられた。「沖縄総合事務局に資料をもらいに行ったら、担当者が休んでいるので明日来るようにいわれた」。

次の苦情も聞いた。「エレベーター前は柵で囲まれ、入庁に際し守衛に呼び止められ、氏名、所属、電話番号、行き先などを記入するようにいわれた。その後、磁気カードが渡され、改札口が開き入庁が許された。厳しい検問が敷かれており、もう二度と総合事務局には行きたくない」


 玄関前は厳しい検問が敷かれている。沖縄県民はチェックを受ける。復帰時に比べ、総合事務局もずいぶん変わったものだ。明らかに県民から離れている対応だ。なぜ変節したのか不思議でならない。

 同局が発注する公共事業の在り方についての姿勢も問われている。国直轄事業の5割超を本土ゼネコン業者に優先発注しているが、改善の兆しは見られない。

「沖縄振興の構造的欠陥」「ザル経済」が指摘されているにもかかわらず、総合事務局の庁舎建設は県内業者を排除し、すべて本土ゼネコンに発注したのだ。

 2009111日付の琉球新報「時代を読む・経済部長インタビュー」で竹澤正明沖縄総合事務局長の発言が掲載されている。竹沢氏はインタビューに応え、「ほとんどの事業を県内業者が受注すべきか、難しい問題だ」と発言し、「技術力、コスト競争力が付いてくることが基本」だと述べた。この記事を見て驚いた。この人は何のために沖縄振興に携わっているのか・・・。

 沖縄の建設業の技術力は、低いだろうか? マンション、ビル、ホテル建設などを手掛けている実績をまったく理解していないどころか、どうも総合事務局の方向指示器は本土ゼネコンを向いている─という意見をずいぶん耳にした。

 総合事務局の職員の資質の低下も見られる。跡地利用対策課で島田懇談会の資料の件で尋ねたことがある。担当課長は資料の存在さえ知らない状況だ。資質の劣化とみるべきだろう。復帰から40年、沖縄振興行政の風化が進んでいる。

 2010223日付・琉球新報「論壇」で、総合事務局の変容について投稿したことがある。その論壇を読んだ県選出で元自民党沖縄振興委員長(元沖縄開発庁政務次官)から連絡があった。そんなにひどい組織になっているのかと驚いていた。

 総合事務局に対しては、情報非開示に対する苦言、二重行政の弊害を指摘する意見も少なくない。県民の目線は厳しくなっている。

 国家出先機関の廃止論も出ており、総合事務局の事務・権限の県への移管も検討されている。復帰の原点に戻り、沖縄県民から信頼される総合事務局であってほしいものである。

 今、国の出先機関でいろいろな出来事が起こっている。沖縄防衛局の国家権力による選挙介入、総合事務局の来訪者に対する「県民チェック」の問題等摩訶不思議なことが起こっている。県民の不信感が止まらない。

 復帰40年の年である。国の沖縄政策(出先機関含む)を検証し、今後の沖縄の在り方について真剣に考える時期に来ていると思う。



posted by ゆがふ沖縄 at 00:07| 検証「沖縄総合事務局」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。