2012年06月04日

復帰40年を迎えた沖縄から・・・。

復帰40年を迎えた沖縄から・・・。

 1972年5月15日、悲願の祖国復帰。県内では「復帰の日・特設授業」が行われた。豊見城村上田小学校では復帰を考える生徒たちの発言が黒板に記録されている。


 石川文洋さんが撮影した写真・解説について2012年5月15日、16日付の沖縄タイムスが文化欄で「石川文洋が撮った5・15」の特集記事で取り上げた。

 特設授業の写真には生徒たちが黒板にそれぞれの感想を書いている。

「復帰しても米軍は出ていかない」「基地はそのまま残る」「自衛隊がくる」


 子供たちの素直な気持ちが伝わってくる。
「沖縄の人はアメリカ兵に殺されても、たいがいは無罪になるのでかわいそう」とも書かれている。

 石川さんは指摘する。前年の71年10月12日、同級生の当間学君、28日には普天間で2人の沖縄婦人が米兵の車に轢き殺されていた・・・。

16日付の連載記事も心が痛い。石川さんは記述する。

◎「復帰の日、宜野湾市の西原加那さんを訪ねた。加那さんの娘(享年23歳)。1971年4月23日、米兵に殺された。普天間海兵航空隊所属の伍長が強姦殺人容疑で米軍特捜部によって逮捕された。宜野湾市警察が採取した血液、体液、体毛は伍長のものと一致した。判事、検事、弁護士、陪審員とすべてアメリカ人将校による軍法会議で伍長は無罪を宣告された。


 加那さんは「犯人が憎い、ぶん殴ることもできないうちにアメリカへ帰ってしまった。復帰をしても娘が戻るわけではない」と寂しそうであった。

◎コザ市の喜名みねさんの夫、武夫さん(享年42歳)はタクシー運転手だった。71年10月、アメリカ兵に殺された。犯人は捕まえられないまま迷宮入りになっていた。夫が健在であれば夫婦で「復帰の日」をいろいろと話し合っていただろう。人気のない部屋で、その状況を語るみねさんの夫を奪われた無念の気持ちが伝わってきた。

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■沖縄県民は虫けらか

 復帰40年を迎えた日にこの記事を読みながら、屈辱・植民地沖縄の歴史がよみがえった。このブログで、日本政府が沖縄返還交渉で対米請求権を放棄したことに触れたが、米軍統治下の沖縄で白人ガードによる北谷の事件を思い出した。1947年8月3日、北谷村で米軍ガード5人が誤認による殺人事件があった。米兵の氏名も判明したが、弔慰金も出していない。息子を失った73歳の老婆は生活扶助を受けて生活していた。


 

 伊江島の弾薬処理船爆発事件(1948年8月6日)では沖縄県民11人が死亡した。米軍は葬式料として1人当たり7千円(B円)を支給しただけであった。沖縄県民は虫けら同然だったのである。これが「民主主義のショーウインド」を標榜するアメリカの沖縄統治の実態だったのだ。
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 復帰後、米兵による事件・事故数は5600件を超えている。事件・事故の多発。沖縄県民は生存権が今でも脅かされている。米軍基地によって沖縄の人権が侵害されていることは復帰後変わっていない。日米安保体制は「国防の強迫」を沖縄に押し付け、沖縄の犠牲の上で成りやっている。沖縄はハードパワーの犠牲者であり、その原因は日本外交の乏しい想像力にある。復帰40年構造的差別が続く沖縄から「従属・日本外交」がよく見える。

構造的差別には必ず生れ出るものがある
悲しみの極みに「構造的差別」がある

それでも「構造的差別」は沖縄に刻まれていく
どこかに必ず沖縄の心を知る人たちがいる



posted by ゆがふ沖縄 at 00:07| 沖縄復帰40年特集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする