2012年09月08日

琉球政府の復帰施策(27)

琉球政府の復帰施策(27)


■幻の「屋良建議書」(20)

〜沖縄復帰の建議書〜

1971年11月18日


2 教師の権利と教育内容保障

 復帰に伴って地方公務員法、教育公務員特例法及び教育の中立性確保臨時措置法が復帰時にそのまま沖縄に適用するようになっております。


 これらの三法には、教育の公共性や教育の中立性を理由に、教職員の基本的人権を抑圧禁止する規定があります。すなわち、争議権の禁止、団体協約の締結権の禁止をはじめ政治行為の制限、勤評の実施などの条項であります。
琉球政府行政主席・屋良朝苗氏.jpg

 いま沖縄においては、公立学校職員の労働三権は保障されており、現に労働組合法によって学校長、教頭等の管理職も加入して沖縄県教職員組合が結成されております。

 政治行為についても、教育基本法第8条によって、制限と選挙法の教育者の地位利用の禁止以外に別段規制を受ける立法がなく、教職員の政治的発言が保障されてきております。さらに勤評実施の法的根拠がなく、その必要性もないため教育現場は自由な創造的な教育活動がなされてきました。


 それが本土法の即時適用となると、教師の団体行動権が刑事罰をもって強権で禁止され、政治行為も他の地方公務員以上に全国的な地域制限で厳しくされ、懲戒の事由として処罰される仕組みとなってしまうのであります。

 勤評実施ともなれば、本土において、かつてその実施の際大混乱が引き起こされたように、沖縄においてもその二の舞をさせられることは必至であります。


 沖縄の教職員が1953年に労働組合を結成しようとした際、米軍から教員の労組結成は思想の強要であるとされ、争議権だけでなく団結権すら認められなかった事実があります。

 政治行為については、布令165号(琉球教育法)によって全面禁止され、教職員の政治的発言が極度に抑圧されていたのであります。同じように、布令によって教員の契約制が実施され、渡航制限による思想調査やCICによる教員の監視がなされていた事実もあります。

 これらの規制から解放されたのは、ようやく14年前からであり、県民の自由を求める幾多の犠牲によってつくり出されたのが現在の諸権利であります。ところが1967年教公二法(地方教育区公務員法及び教育公務員特例法)が立法院で立法化されようとしました。教公二法は本土の地公法や教育公務員特例法に準じたもので、教職員をはじめ多くの教育団体や県民から反対され、ついに廃案になったのであります。

 県民がこの法律の立法に反対した主な理由は、沖縄は長年米軍の支配下にあって、ただでさえ県民の権利が大きく抑圧されているにもかかわらず、自らつくる調査でさらに自らをしばることは愚であり、民主社会においてあるべきことではないと県民の多くが判断したからであります。


 したがって、沖縄の教育復興を図るためには、教職員に可能な限りの事由を保障することが必要であるとされたからであります。この自由は復帰後においても当然保障されるべきものであると考えますので前述の三法の権利規制は不要であります。

 教育公務員の争議禁止は、憲法で保障される生存権の擁護と相いれないものであり、違憲性を持つ疑いのあることは、多くの学者が指摘しているとおりであります。そのことは本土において教育公務員の争議行為に対する無罪判決の事例でも分かるのであります。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:06| 琉球政府の復帰施策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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