2013年02月25日

沖縄復帰の証言(42)

沖縄復帰の証言(42)

〜政府の復帰施策に関する報告書から〜


◆総理府総務長官・山中貞則(42
聞き手・小玉正任(元沖縄開発庁事務次官)

●沖縄担当大臣の心得A
山中:伊江島の補助飛行場を,行ってみたら,飛行場は概してそうだけど,伊江島のやつはこう手前に少し傾斜があって雨水が流れるようになっているんです。この滑走路を使って,滑走路の縁にこのぐらいのセメントの塀の囲いをすると,水は向こうのほうに滑走路を造るときに掘った穴があって,あれがほったらかしてあるから,滑走路を返してもらって,伊江島であれを掘ります。掘ってセメントを打って,畑灌の水槽にしますとおれがランパー卜に言ったら,ランパートが,それは民政部のほうに来てるいのではないでしょうかと言うから,民政官に会ったら,見たことがないと言うんだ。

しかし陳情を始めてもう何年かになると言っていたよと言ったら,自分で行って, こうやって確かめて,, これだと言って,下のほうから,滑走路を貸してくれという伊江村の陳情書を引き抜いてきた。


 それで, これを貸してあげたっていいじゃないか。向こうのほうでため池を作って,雨が降ったら滑走路の水を一滴も逃さずにキビ畑の畑灌に使おうというのだからいいじゃないかと言ったら,オーケーですと言って,本省のほうに掛け合うものだから, 1週間後ぐらいに返事があった。それは面白かったのよ。滑走路を伊江村に貸す。返還となると問題だから,補助飛行場だから射爆場がもし何かで使えない場合にはここも離着陸に使ったり,不時着に使ったりするんで,全部返すわけにはいかない。しかし使用権は差し上げる,どうぞ, ということで,年間の地代が1ドルだ。1ドルというやつが伊江村に残っているはずです。あれはおれもニクイことをやるなと思ったな。

 払い下げはできません。貸してあげます。貸すについては賃貸料が要ります。それは年1ドルですと。そういう粋な計らいをしたんです。

小玉:山中先生には,まだまだお伺いしたいことがたくさんあります。例えば,渡嘉敷に行かれたとき,ナイキ基地跡に立たれて, ここを国立青年の家とすると言われ,やがて, これが完成,その開所式には私も山中先生のお伴をして参加しました。

 それから,竹富町にホーバークラフトを配置することを提案され, これは復帰の年に就航しています。営業速度80キロの高速で,50人を乗せ,石垣港から西表の大原まで25分で行けたのです。私も総合事務局にいるとき, しばしばこのホーバークラフトを利用しました。風速15m波高2.5mの悪天候でもものともせず快走しました。

 それから,久米島の畑地灌漑,そして津堅町を晴矢とする海底送水,海水の淡水化,伊平屋の野甫島をはじめ瀬底島への架橋, これらはいずれも山中大臣のはじめられたことです。

 さらには,沖縄電力移管問題,潰地問題,私本統合問題,八重山のダムなどなど,あと2, 3間位,時間をいただいて, これらのお話しをお伺いしようと思っていましたが,先生が急に忙しくなったので,インタビューを一応打ち切ることになってしまいました。これらのことについては,またお伺いする機会もあろうかと思います。

 長時間にわたり,貴重なお話しをして下さり,誠に有難うございました。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:02| 歴史の証言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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