2013年02月27日

沖縄復帰の証言(44)

沖縄復帰の証言(44)

〜政府の復帰施策に関する報告書から〜


◆隠れたエピソードA
語り手・小玉正任(元沖縄開発庁事務次官)

●山中貞則大臣の琉歌(愛楽園)

ところが,園長先生や患者さんが,ぜひあなたに見せたいものがあると言うので,ついて行きますと,入園者自治会事務所正面の壁に額が掛かっているのです。それには,次の歌が書かれてありました。


吾を迎う蘇鉄葉アーチ
造るだに
幾日かけての
作業なりしぞ


病み進み盲ひし人よ
あらぬ方に向きて
大臣万才を叫ぶ



屋我地海潮満ちきたる
昼下がり
火烙木ひとつ花残し置き


弾痕の残る塀あり
萎えし手に掘りし壕あり
大戦の跡


講堂に行きも叶わず
病み臥す重症棟は
吾が訪ぬべし



歌に句に作文に園を畢げて
迎う吾泣きゐじと
気づけるは後 


植樹する椰子の葉ずれの
爽やけし
拍手背にしつ別れ来にけり



昭和461112
国務大臣 山中貞則 詠 印


愛楽園御―同 拝

山中大臣が,昭和461112日に愛楽園に来られたとき詠まれた歌です。患者は異口中大 同音に,山中大臣が,わざわざ来られて, 11人に声をかけて下さった,というのです。


 この歌の書かれた額は,24年余経った平成 8年の 3 25日現在,まだ掲げられていると,現在の国立療季所沖縄愛楽園園長の長尾榮治先生から私に連絡がありました。

最後に,山中貞則先生が,沖縄本島の南部戦跡を訪ねられたとき作られた和歌の中から3首挙げて.締めくくりとします。



自決せし手摺弾痕
おびただし
地下壕照らす裸電球


摩文年の崖の底より
噴き上ぐる
阿鼻叫喚の幻に顕()


散華せし友の臨終(いまわ)
何処ならむ
甘庶(きび)の穂波に風渡るのみ


1章 終わり


□ □ □
 次回は、衆議院議員 宮里松正さんの「沖縄の本土復帰の思い出」を取り上げます。聞き手は小玉正任さんです。宮里さんは琉球政府副主席として復帰の実務的な話を述べています。





posted by ゆがふ沖縄 at 00:03| 歴史の証言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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