2013年02月28日

沖縄復帰の証言(45)

沖縄復帰の証言(45)

〜政府の復帰施策に関する報告書から〜


◆衆議院議員・宮里松正(1)
聞き手・小玉正任(元沖縄開発庁事務次官)

●通貨交換@
小玉:沖縄が本土に復帰するとき,琉球政府の副主席をされてぃた宮里松正先生に出をお話しし ,当時の思い出をお話していただきたいと思います。まず通貨交換についてお伺いいたします。

宮里:あれはまさに降ってわいたような話でしてね。私が副主席に就任を要請されたのが昭和 4684日。82日に屋良主席から要請があって,ぼくは受けるつもりはなかったので, 4日 にお断りに行ったら,ただちに受けろと。そのまま就任しました。そして8 16日 にニクソン声明が出て大騒ぎになった。

小玉:2週間もたたないうちに?

宮里:はい。その上, さらに大蔵省は, 827日に変動相場制移行を決定,28日から実施されました。それこそ大騒ぎのうえに油を注いだんですね。地元は当然のことながら即時通貨交換の要請で沸き返った。ぼくは法律家ですからね。

ところが通貨というのは施政権の,統治権の直接作用ですから,私は、これは最初から無理だろうとみたんです。ちょうどニクソン声明が出た816日には,主席は九州知事会議でしたかね。

 ただちに連絡を取ってね。地元では緊急に夜中,局長会議を開いて,「どうすべぃ」とみんなから意見を聞いたんですよ。これは全く表に出ていませんが,ぼくは密かにその日で金融機関の預貯金台帳を封鎖したんです,金融検査庁の諸君を使ってね。


 まずとりあえず今日時点で預金台帳をみんな押さえておけ,封鎖 しておけと実は押さえてあったんです。これはいままで 1度 も表に出したことがないことです。ですから通貨交換は立法院をはじめ,あらゆる団体から要請が来たけれども, これは当然そういう要求をすべきだと思いながらも, これはおそらく無理だろうと。そのときに瀬長浩さんが言ったことをいまでも覚えてぃるんですが・…・・。

 彼が高等弁務官と連絡を取ってアメリカにしかるべき措置を取らすべきだろう, これは琉球政府の手にはおえないと言ったんです。ぼくは,ちょっと待てと止めたんです。というのはアメリカの高等弁務官と言ったって, これは本国政府の代官にすぎない。この連中に最終的な意思決定ができるわけがない。当然のことながらこれはワシントン政府に請訓をしたり,連絡を取らなければなら ない。そうするとアメリカ人のことですから,ただちに秘密は全部アメリカに筒抜けになってしまう。

 日本国内にも。そうするとやれることもやれなくなるとみたので,すぐ止めちゃったんです。それでその段階で金融検査庁の諸君に,当時,琉球政府には為替管理権,為替管理制度が全くないんですよ。そうすると出るのは押さえられるにしても,入ってくるのは押さえられない。だからぼくは 360円 との平価と変動相場との差額は,何らかの形で補てんしなければならないと密かに思っておりましたから,為替管理の法案を密かにつくれと言ってやったんです。

 金融検査庁の諸君は,いまの琉球銀行の崎間会頭とかと討議したらしい。そうしたら彼も一生懸命研究したらしい。ぼくは途中で, これは場合によっては高等弁務官とひざ詰め談判をしてその場で布令を出して,その場で施行といぅゃり方でも考えようかなと思ったんだけれども, これをやっても無駄だと思った。アメリカをかましても何もならんと思ったものですから、それはそのまま止めちゃった。



posted by ゆがふ沖縄 at 00:10| 歴史の証言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。