2013年05月06日

戸籍・援護法で沖縄差別

戸籍・援護法で沖縄差別

〜分断され、踏みにじられた主権〜


■構造的差別には必ず生れ出るものがある。
悲しみの極みに「構造的差別」がある。
それでも「構造的差別」は沖縄に刻まれていく。


南連(与儀).jpg 
 沖縄返還2年前のことだった。1970年5月、沖縄北方対策庁が発足した。私は沖縄事務局に採用された。沖縄の「復帰対策」及び「外国資本導入」問題に携わった。まもなく米軍支配が終わる。世代わりの歴史的仕事に心が躍った。

日本政府の沖縄政策の過去を知るために倉庫で「南連」時代の内部文書に触れる機会があった。私が見たものは、「屈辱」された対沖縄政策だった。


 南連の文書は外部に漏れることはなく戦後、封印されてきたのだ。沖縄県民の人権が踏みにじられていたことを知り、喉に「とげ」が刺された思いで動揺した。私は極秘にコピーをしていたことがある。

 南連文書は、もう時効だろう。歴史の証言として、沖縄県民に伝えなければならない。これに眼を瞑れば歴史を欺くことになるからだ。その一部について沖縄タイムス「論壇」に投稿したら、55日に掲載された。参考までにブログで紹介する。

  ◆ ◆
201355日付・沖縄タイムス「論壇」

戸籍・援護法で沖縄差別
〜分断され、踏みにじられた主権〜
  宮田 裕

 米軍統治下の沖縄に日本政府の「南連」があった。正式には「日本政府南方連絡事務所」のことだ。南連設置にはGHQが関与していた。1952414日付でGHQが日本政府に出した「覚書」には「琉球諸島への日本国民の渡航、琉球諸島在住者の日本への渡航を取り扱うため準領事館事務を遂行し、日本政府連絡事務所を設置」せよ─と記載されている。「覚書」を受けて日本政府は195271日、日本政府南方連絡事務所を設置した。

 1954217日、衆議院外務委員会。「南連」について日本政府は@琉球住民は南連に陳情を受ける権限はない。A沖縄に滞在する本土国籍を持っている人は、保護機能があり、不法逮捕、拘留された場合には米合衆国政府の機関と協議することができるが、琉球住民に対しては米軍から弾圧、不当な取り扱いなどがあっても、日本政府はこれを取り上げて米国民政府と交渉する機能は与えられていない─と答弁。日本は主権を回復したが、沖縄は分断され屈辱を受けていたのだ。

 南連は沖縄の戸籍を放置した。琉球政府に「戸籍整備法」の立法化を要請。琉球政府は19531116日、「戸籍整備法」を制定し、滅失戸籍の回復に着手する。

琉球政府は、戸籍回復について財政支援をもとめたが、1959年度予算に技術援助費として、専門家派遣研修経費を計上しただけで全額負担は認めなかった。


 戦没者援護法差別の例。1952322日「参議院予算委員会」で戦没者援護法の沖縄適用をめぐって吉武恵市・厚生大臣は、「沖縄の遺族に対しては、沖縄はまだ日本の法律が適用されていないので、援護法は遺憾ながら適用できない」と答弁。

1952430日、「戦傷者戦没者遺族等援護法」を制定し日本本土は41日に遡及して適用したが沖縄は除外された。沖縄の臨時戸籍、未整備戸籍等から日本国籍としての認証に疑義を唱えたのだ。


 戦争で夫を亡くした女性、遺族が立ち上がった。全琉球遺族族連合会は援護法の即時適用を訴えたが届かなかった。

琉球政府は米国民政府(USCAR)に要請し承認を取り付けた。これを受けて日本政府は1953326日付で「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)に対し、「戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用する場合の取り扱いについて」通達を出し、沖縄はようやく援護法が適用されるようになった。紆余曲折し、遺族弔慰年金が給付されたのは法律制定から2年近く経過していた。


 分断された沖縄の主権は踏みにじられていたのである。


写真:日本政府「南連」・那覇市与儀
(現在の那覇警察署・石碑がある)







posted by ゆがふ沖縄 at 00:03| 日本政府の沖縄差別 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする