2013年12月12日

沖縄復帰対策はどのように進められたのか(2)

沖縄復帰対策はどのように進められたのか(2)


 復帰対策推進の留意事項は、@本土法令の適用に際し、沖縄の経済社会の実態の特殊性を考慮して暫定特例措置を講ずる、A沖縄の復帰に際し、その経済、社会の開発、発展を図るための施策推進に関する立法上、財政上の措置を講ずる、B施政権返還協定締結交渉の進展との調整を図る─というものであった。

 返還前の沖縄で措置すべき施策は、@沖縄県の設置に備えて、本土制度に準じて行財政制度の準備措置を講ずる、A教育、社会保障のように本土制度と同一性を確保するために復帰前に措置を講ずる─ことだった。当時の沖縄は、教育、社会保障の立ち遅れが見られた。福祉政策の立ち遅れも目立った。

 産業経済制度については、沖縄の経済、社会の実態を考慮し復帰前に本土制度に整備する措置を講ずるとした。貿易・通貨制度の相違、本土の産業政策は適用せず、27年間放置されていたのだ。

 公共施設の整備も検討された。沖縄の経済・社会の実情、整備の緊急性を勘案し、類似県の水準を参考にして計画的に推進するというものだ。敗戦後、日本政府は琉球政府に1円の財政援助もしなかった。理由は施政権の壁にあった。戦後18年目に米国の要求により沖縄に財政援助をするようになった。このことが格差の原因なのだ。

 琉球政府に対して、復帰施策を推進するために必要な財政援助及び技術援助を行うとし、人事交流も打ち出した。

 敗戦後、琉球政府は、米国援助で財政を維持していたのだ。米軍支配下で日米両政府の財政援助は米国民政府1,670億円(58%)、日本政府1,232億円(42%)だった。米軍支配下の沖縄財政援助は、国家予算の0.2%だった。ケネディ大統領は、1962年沖縄新政策を発表、これを受け日本政府は1963年度予算で初めて琉球政府へ財政援助を実施した。戦後18年目のことだ。 

posted by ゆがふ沖縄 at 00:03| 日本政府の復帰対策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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