2013年12月14日

沖縄復帰対策はどのように進められたのか(4)

沖縄復帰対策はどのように進められたのか(4)


 政府は1972年のできるだけ早い時期に沖縄の復帰を実現するため、諸準備措置の目標を掲げた。
 国会の議決を必要とするのは、@施政権返還協定 A本土法令の適用に伴う特例措置に伴う立法 B沖縄の経済社会の開発、発展を図るための立法措置─であった。

 復帰の目標をどのように推進していくのか。要綱が検討された。主な考え方は、@沖縄の各種機関・権利義務及び公務員等を本土並みに継承する、A沖縄の諸制度と本土の諸制度を一体化して、復帰ショックを緩和し、発展の基礎条件を整備する、B復帰対策の策定は、日本中の法令を点検し、沖縄の法令に照らし調整を図りながら暫定措置、特例措置を決定する膨大な作業を実施する、C復帰対策の策定に当たっては、沖縄の意向を反映させるため琉球政府の要望を聴くとともに、米国と調整を行う─というものだ。

 政府は、沖縄の振興開発を積極的、思い切った施策を講ずる、A復帰の混乱を生じないように特別な経過措置を講ずる、B琉球政府をはじめ県民の意思を十分に尊重し、復帰対策要綱を策定する─を確認する。

 19701120日、沖縄復帰対策要綱第1次分が閣議決定された。沖縄の教育行政制度については、本土の関係法令を適用するというものだ。

 戦後の沖縄の教育行政は、1952年(昭和27年)2月、米国民政府布令66号「琉球教育法」発布に始まる。1957年には布令165号「教育法」を発布、1958年には琉球政府は「学校教育法」を制定し、教育を行ってきたが、復帰で本土の制度に移行するものである。



 



posted by ゆがふ沖縄 at 00:19| 琉球政府の復帰施策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする