2013年12月15日

沖縄復帰対策はどのように進められたのか(5)

沖縄復帰対策はどのように進められたのか(5)


■琉球大学の取り扱い
 琉球大学は、教育組織等において必要な整備を図り、復帰の際、国立大学に国に移管されることが決定した。琉球大学は、敗戦直後の混乱した社会情勢の中で1950522日首里城跡に開学した。

 1949年米国軍政本部指令22号「琉球の教育制度」が公布され、琉球大学は軍政府情報教育部の所管となった。以後、布令・布告によって管理運営が行われた16年間(195065)が布令大学といわれていた。

 1958年、琉球政府は「学校教育法」を制定、布令66号「琉球教育法」は廃止されたが、布令による管理権は継続された。1965825日「琉球大学設置法」と「琉球大学管理法」が制定され、翌年71日琉球政府立大学に移管された。1972515日、復帰時点で国立大学に移管される。

■国費沖縄留学生制度
 国費沖縄学生制度については、復帰後も一定期間、この制度の趣旨を生かして、これに準じた奨学措置を講ずることとされた。

 国費沖縄学生制度とは、琉球復興のために緊急に必要な人材を養成する趣旨で設けられた制度である。1953年(昭和28年)4月、日本政府の援助により公費琉球学生制度(のちに国費琉球学生制度、国費沖縄学生制度と改称)がスタート。同制度は、米国政府援助による「契約学生制度」が19526月に廃止となったため、琉球政府が日本政府に陳情・要請した結果実現したものだ。

 県内の選抜試験に合格すると本土の国立大学の特別定員枠外として入学が許可された。同制度は1972年度まで実施され、1962人の合格者を出した。特に、沖縄の医師・歯科医師の養成に重点が置かれた。



posted by ゆがふ沖縄 at 00:03| 日本政府の復帰対策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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