2017年03月08日

沖縄予算一括計上の本質H

沖縄予算一括計上の本質H
〜敗戦後の財政援助から沖縄予算へ〜

1963年度から始まった日本政府援助金は10億1283万円だったが翌64年度は18億3067億円に拡大する。産業振興、国土開発援助が4億746万円から11億2267万円に増額された。護岸整備費が9286万円から2億1817万円に増額され災害復旧に備えた。

(1963年度の日政援助)
産業開発資金は前年度1億3000万円から一挙に3億円に増額。離島間の運搬船建造資金として1734万円を援助した。医師派遣に8885万円、結核対策705万円が予算化された。公営住宅に4500万円援助した。

日本の財政から見放されていたがようやく沖縄の民生安定に目を向けるようになった。救急車を購入資金として640万円を琉球政府に援助した。

特筆すべきことは、教科書無償給与として3618万円を日本政府が援助したことだ。国費沖縄学生招致4172万円も継続して予算化。技術援助5719万円、敗戦後の土地調査1億710万円を計上。気象業務として7195万円を支援した。

(1966年度の日政援助)
1966年度になると国の援助額は28億6563万円と大幅に増額された。産業振興、開発国土開発分野では13億4944万円を援助し、その大半は土地改良、道路整備、護岸施設費であった。その他、産業開発資金として4億1761万円援助した。

沖縄の子供たちの教科書無償給与として9823万円の援助金は教育振興に寄与した。国費沖縄学生招致に6831万円の援助金も決定。琉球大学整備に1118万円の支援も確定した。

技術援助として8819万円、土地調査1億2409万円、沖縄戦で滅失した戸籍簿保管設備に1073万円の援助金を計上するなど、日本政府財政による沖縄の戦後復興は本格化していく。

しかし、日本の国家予算から見ると沖縄への財政援助額は微々たるもので、施政権が及ばない沖縄の特殊な地位を反映していた。米側の了解が必要であったからである。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:01| 宮田裕の「沖縄振興論」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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