2017年07月10日

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(30)

半世紀後の沖縄振興計画はあり得るのか(30)

■終わらぬ戦後処理(2)
〜未処理埋没不発弾2033トンにあと70年〜

小禄の聖マタイ幼稚園の不発弾爆発事故は、復帰後の公共事業実施にショックを与えた。当時の園長・鬼本(きもと)照男さんから事故についてヒャリング。

痛ましい事故の内容は沖縄縄開発本庁へ逐一報告、戦後処理問題が議論されるようになる。

聖マタイ幼稚園の不発弾爆発事故で死者4名、重軽傷者34人、家屋破壊81戸。
この事故を受け、沖縄振興と不発弾対策が議論されるようになる。

沖縄不発弾対策協議会が設置され、沖縄総合事務局が事務を総括。構成員は県内16機関で構成、各関係機関と連絡・調整を行っているほか、不発弾対策に係る交付金等の予算措置を通じて対策の強化、充実を図っている現状だ。

米軍支配下でも不発弾事故は続発していた。1948年8月、伊江島で戦争当時の不発弾を島外に運び出す作業をしていた米軍弾薬処理船(LCT)が爆発。民間の連絡船と同じ伊江港を利用していたため乗客、船員、出迎えなど死者106人、負傷73人、8家屋が全焼したのだ。

1966年10月、金武村(当時)海兵隊演習場で薬きょう拾いの女性が不発弾爆発で死亡。米軍政下の事故は、植民地扱いで補償はない。

先の大戦において沖縄は、激しい艦砲射撃、砲爆撃を受けたが、復帰直後の1974年3月の聖マタイ幼稚園の不発弾爆発事故は、沖縄振興の在り方を検討するきっかけになった。戦後72年が経過したが、不発弾は地下に埋設されている現状である。

沖縄戦で20万トンの爆弾が投下されたが、1万トンは不発弾と言われている。戦後処理されたのは7300トン余、2033トンが未処理であと70年かかるという。

処理される不発弾は発見される形態により、発見弾と埋没弾に区別されるが、工事等によって偶然発見される発見弾が大半。民間の住宅建設や公共工事等によって偶然発見され、処理されるのが発見弾。住民等からの情報に基づき探査、発掘を行い処理されるのが埋設弾だ。

小禄の聖マタイ幼稚園の不発弾爆発事故は、機雷47式改長さ70センチで破壊力のある爆弾だった。沖縄戦で航空機から投下された爆弾は長さ1メーター19センチの250キロ爆弾、70センチを超える50キロ爆弾、その他、各種砲弾が鉄の暴風と表現され20万トンの爆弾が集中的に投下されたのである。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:56| 大学の窓から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする