2018年04月05日

■新崎盛暉先生 安らかにお眠りください

■新崎盛暉先生 安らかにお眠りください

沖縄大学の元学長・新崎盛暉先生の告別式が4月5日、那覇市万松院であった。

沖縄の戦後史研究の功績は大きい。初めてお目にかかったのは2009年。対外問題研究会(会長・我部政明琉球大学教授)のシンポジウムでご一緒したことがある。新崎先生が司会を務め、私は「沖縄政策の形成メカニズムについて」発表。舌鋒鋭いご指摘を受けたことがある。知恵がいっぱい詰まった識者からの贈り物である。

2012年1月21日、対外問題研究会で新崎先生は「構造的沖縄差別とは何か」について講演。参加者は辺野古で支援する人もいた。北海道からの参加者もいた。関心の高さが伺えた。

戦後の日米関係と沖縄に言及。その中で天皇制、非武装国家、沖縄の軍事支配に触れ、構造的沖縄差別の上に確立された戦後の日米関係と復帰運動を具体的に解説していた。

1947年、マッカーサーは天皇制を存続することで軍事的復活に対する恐怖はなくなり、日本を非武装化する占領政策を採った。「ビンのふた」論の議論は興味を引き付けた。沖縄を軍事要塞化した初期の占領政策にも触れた。

60年安保体制と構造的沖縄差別。日本による構造的沖縄差別の積極利用。偽装された日米関係の相対的平等化。沖縄返還と安保問題の局地化。新崎先生は構造的差別の上に安定する日米関係の現実を突く。含蓄ある内容だった。60年安保改定で日本本土の基地は4分の1に減ったが、沖縄の基地は2倍に増えた。沖縄は日米の構造的差別に組み込まれたと例示。

「戦後の日米関係は沖縄差別の上に成り立っている」と指摘していた。米国の占領政策に天皇メッセージが沖縄分離政策に利用されたと・・・。米国は、天皇の戦争責任を検討したが、日本には伝統的に天皇に対して崇拝、信仰、忠誠が根付いており、天皇の責任追及よりも天皇制を対日政策で利用するのが米国の価値判断であった。ここに沖縄分断の悲劇があったのではないか。

新崎先生の次の指摘は鋭い。「沖縄返還後、0.6%の国土面積に75%の基地が集中。SACO合意後も返還条件は県内移設条件が付いており、そのこと自体が構造的差別だと・・・。安保再定義、米軍再編でも沖縄は日米両政府のはざまで犠牲になる構造だと・・・。」

構造的差別をいかに克服するか。新崎先生はヤマトの世論・闘う人々との連帯を唱えた。基地受け入れを拒否した名護市は基地再編交付金が打ち切られた。全国から「ふるさと納税」の輪が広がる。沖縄社会は日本国家の中で自立化し、東アジアとの連帯と交流する必要性も指摘された。

沖縄は政治を認識する優位性の場所にある。沖縄から世界が見える。優位性を活かして闘い続けていく必要性も指摘された。

「日本にはない独自の存在が沖縄なのだ」・・・新崎先生の言葉が響く。

沖縄から、また偉大な指導者が遠い、遠い空へ旅立った。沖縄が失ったものは大きい。
posted by ゆがふ沖縄 at 23:43| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする