2018年06月24日

■沖縄慰霊の日に想う

■沖縄慰霊の日に想う
〜色眼鏡で沖縄を見た日本政府の大罪〜

梅雨明けの沖縄は暑い。灼熱の太陽。焼き付いた地面。沖縄慰霊の日。24万人余の御霊が眠る。沖縄戦の深みで魂が泣いている。背負った沖縄の宿命。

「戦没者遺族等援護法」の適用で差別された沖縄の歴史。1952年4月30日に「戦傷者戦没者遺族等援護法」制定。4月1日に遡及して日本本土で適用したが沖縄は除外した。沖縄戦で滅失した沖縄の戸籍未整備が理由だった。

援護法案審議の1952年3月22日「第13回・参議院予算委員会」における山下義信委員(社会党)は沖縄の援護法適用について質問したが、日本政府の対応は冷徹そのものであった。

〇山下義信委員「今回の対象の中で、沖縄出身の戦死者あるいは樺太出身の戦死者など現在日本領土以外の形になっている地域の戦死者はどう処遇するのか」

〇厚生大臣・吉武恵市「沖縄の方々の遺族に対しては、沖縄はまだ日本の法律が適用されていないので、援護法は遺憾ながら適用できない」

援護法適用には日本国籍を有することを条件としていた。援護事務に必要な沖縄の戸籍は、47年臨時戸籍取扱要綱により整備されていたが、援護法が公布された52年4月30日時点で沖縄住民の戸籍について日本国籍としての公証性が問題視され、援護法の適用から除外されたのだ。

琉球政府は日本防衛の犠牲になった沖縄の遺族を救うために、援護法適用について琉球列島米国民政府(USCAR)と交渉を開始した。米側は人道的見地から琉球住民への援護法適用に理解を示した。米側が承認すると日本政府の態度は一変する。

日本政府は1953年3月26日、「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)に現存するものに対し、「戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用する場合の取り扱いについて」通達を出し、ようやく沖縄で援護法が適用されるようになった。しかし、遺族弔慰年金が給付されるまでには、法律制定から2年近く経過していた。
posted by ゆがふ沖縄 at 09:42| 検証・戦後67年の沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする