2011年11月25日

官僚と「沖縄の心」

シリーズ 「軍統治下の沖縄政策」(8)

<官僚と「沖縄の心」>

復帰対策の策定に当たり、本土官僚の沖縄認識には驚愕させられた。

70年5月1日、沖縄・北方対策庁が発足に伴い、初代沖縄事務局長に自治省出身の岸昌さん(沖縄勤務後は自治省官房長、大阪府知事を務める)が就任。岸さんは68年6月、日本政府沖縄事務所長として赴任したが、復帰対策をめぐり、官僚の沖縄認識について心情を吐露し、69年4月、『沖縄復帰の精神』の論文を発表する。論文の要旨は、本土官僚の「沖縄を甘やかすな」発言に反論し、「沖縄の心」を説くものであった。その一端を見てみよう。

もう、沖縄へは十数回きている某省のA課長が私の事務所を訪れた際、次のような質問を発した。

A課長:「復帰準備委員会で話しあったとき、B、C両氏とも、沖縄側からは復帰に際して暫定措置や特例措置の要求がたくさんくるだろうが、甘やかさないで厳しい態度で望むべきだが岸所長はどう思うか」

岸:「5年や10年は瞬間に等しい。あっという間に過ぎ去ってしまう時間といってよい。そういうつかぬ間の「特別措置」を惜しんで、沖縄復帰を再び”琉球処分”の再現を思わせる行政は、決して当を得たことではない」

岸論文は続く。「沖縄の心をどれだけ理解することはその人の能力のほか、さらにいうならば、人生観の問題。古い言い方をすれば政治哲学としていわゆる王道をとるか覇道とるかの違いだろう」と答えたら「A課長は、わかったのかどうか複雑な表情をした」。二人の会話はこれで終わった。私にはA課長の質問が象徴的になにかをもっているように思え、心の中を次のような自問自答が潮騒のように去来していた。

 「特権意識に擁護されたキャリアの中には、同僚を蹴落としながらひたすら立身出世のエリートコースを走っている。日本の官僚に真の沖縄の心がわかるだろうか? 困窮と挫折と不安の中から祖国復帰を叫び続けてきた沖縄の心が・・・。本土の一般大衆が特権に擁護された官僚に治められていること自体大きな不幸というべきだが、この人たちが沖縄の復帰問題を取り扱うことは、もっと大きな不幸なのではなかろうか」

岸論文は、米軍施政権下の沖縄で大きな反響を呼び起こした。沖縄の歴史認識に欠落した状況で沖縄の復帰準備を行う本土官僚に猛省を促し、復帰準備の精神を鋭く問うその姿勢は、本土官僚に「沖縄の心とは何か」について大きな示唆を与えたのである。
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2011年11月24日

財政援助を増額

シリーズ 「軍統治下の沖縄政策」(7)

<財政援助を増額>

すでに述べたように、日本政府が琉球政府に財政援助を行ったのは1963年度(10億1,283万円)だった。佐藤・ニクソン会談で沖縄復帰が確定すると69年度は一挙に126億円に増えた。その後、復帰対策経費として1970年度177億円、71年度260億円、72年度(4月〜5月14日)は427億円まで拡大していく。

米軍統治下時代、日本政府は琉球政府に総額1,232億円の財政援助を実施したが、7割は復帰が確定した1970年度以降の3年間に集中的に財政を投入した。

復帰対策経費の主なものは道路、空港、港湾、漁港などの産業基盤整備をはじめ復帰記念主要離島の一周道路整備事業等の社会資本整備に使われた。

財政援助は立ち遅れた社会保障制度、医療体制の整備充実、文教施設の拡充強化など本土との格差是正などにも門戸を広げた。一体化政策が進むと琉球政府の行政運営費の財政措置の充実、市町村交付税の増額をはじめ本土の財投資金を琉球政府及び市町村の公共施設資金として貸付措置も行われるようになった。
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復帰対策胎動

シリーズ 「軍統治下の沖縄政策」(6)

<復帰対策胎動>

1970年5月「沖縄・北方対策庁」が設置され、日本政府は沖縄の復帰対策に取り組むようになった。沖縄・北方対策庁は、沖縄問題と併せて北方領土問題も所管したが、東京に本庁、沖縄現地には沖縄事務局が設置された。沖縄事務局の設置で日本政府はようやく琉球列島米国民政府との協議を行うようになった。

沖縄事務局長は沖縄・北方対策庁長官(国務大臣)の命を受けるが、琉球列島米国民政府との協議に関しては外務大臣が局長を指揮監督した。外務大臣が沖縄事務局長を指揮監督するときは、内閣総理大臣と協議することを義務付けた。

沖縄・北方対策庁は1969年11月21日、佐藤・ニクソン共同声明を受けて設置されたが、対策庁が最も重視したのは本土・沖縄一体化政策として1970年度以降の沖縄財政援助の増額を決定することであった。復帰準備体制として、行政、経済、社会各般にわたる格差の是正措置、各種制度の整備及び産業経済の振興開発等についても取り組むようになった。

沖縄復帰対策要綱(1次〜3次)を取りまとめ沖縄の円滑な復帰を実現するために、開発3法案(沖縄振興開発特別措置法、沖縄開発庁設置法、沖縄振興開発金融公庫法)及び特別措置法案(沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律等)の作業が急ピッチで進められた。
posted by ゆがふ沖縄 at 01:20| Comment(0) | 米軍統治下の沖縄政策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする