2011年11月23日

敗戦から18年・財政援助開始

シリーズ 「軍統治下の沖縄政策」(5)

<敗戦から18年・財政援助開始>


日本政府が沖縄援助を開始した63年度の日米両政府の援助額は714,831万円であった。そのうち日本政府は101,283万円(14%)、米国政府は613,543万円(86%)で米国の援助額は約9割近く占めていた。琉球政府は米国政府の援助金で戦後の沖縄復興を図ってきたが、日本政府が沖縄への財政援助を開始した63年の1人当たりの県民所得は301ドル、当時の為替レートで108千円,日本の国民所得215千円のわずか2分の1の水準であった。 

米軍統治下の27年間,琉球政府に対する援助金は、日本政府1,232億円(43%)、米国政府1,649億円(57%)であったが、日本政府援助金の8割は沖縄返還が確定した69年度以降の復帰対策に集中している。69年度以降は米国中心の財政援助から本土・沖縄一体化政策を進める日本政府の財政援助が増額され逆転した。

財務省「財政統計(予算統計等データー)」及び沖縄・北方対策庁「沖縄関係予算(内部資料)」によれば、米軍統治下時代(1947年〜1971年)の日本政府の一般会計歳出予算額は689,577億円。そのうち、沖縄関係予算は1,232億円で、国の歳出に占める沖縄財政援助の割合はわずか0.2%であった。

      日米両政府の財政援助額(米軍占領下)

米国政府日本政府合 計
財政援助額1,649億円1,232億円2,881億円
構成比57.242.8100.0
 
出所:米国の財政援助は米国民政府資料、日本政府援助金は総理府沖縄北方対策庁内部資料から作成

     
 日本政府の対沖縄財政援助(米軍占領下)

政府の一般会計歳出予算額対沖縄財政援助額沖縄財政援助割合
米軍統治下689,577億円1,232億円0.2

注 :日本政府の一般会計歳出予算額は補正後ベース(1947年度〜1971年度)、沖縄への財政投資額は当初予算ベース(1947年度〜1972514日)

出所:政府の一般会計予算額は、財務省『財政統計(予算決算データー)』、沖縄への財政援助額は沖縄北方対策庁内部資料から作成
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沖縄復興・技術財政援助

シリーズ 「軍統治下の沖縄政策」(4)

1.<沖縄復興・技術援助>
2.<米国の要求で財政援助開始>

1.沖縄復興・技術援助

1958年5月、日本政府の対沖縄行政は「南方地域連絡局」から「特別地域連絡局」に組織が変わり、沖縄は特別(特殊)地域として取り扱われるようになる。

特別地域として扱われてから日本政府沖縄事務所に援助業務課が設置され、沖縄への技術援助、医療援助などが開始されるようになった。南連は日本政府沖縄事務所に名称変更された。

琉球政府は日本政府沖縄事務所に対して技術援助と財政援助を要請した。日本政府沖縄事務所は、米国民政府(USCAR)の了解を取り付け、1959年度予算で初めて沖縄技術援助費を予算計上するようになった。

技術援助は、沖縄戦で滅失した戸籍回復について本土の専門家を沖縄に派遣し、沖縄の市町村の戸籍担当者を対象とした研修費から始まった。敗戦から14年目に初めて戦後処理問題が予算化され、沖縄戦災復興に取り組まれたのである。

その後、技術援助は本土より立ち遅れた沖縄の経済、医療・社会福祉の向上、行政分野まで拡大されていく。技術援助は医師派遣を重視した。敗戦後の沖縄は慢性的な医師不足に悩まされていた。終戦直後の沖縄の医師はわずか60人余。技術援助が開始された1959年7月時点で医師199人、歯科医師58人まで拡大する。1961年1月、日本政府は沖縄の医師不足解消を目的に無医地区への本土派遣医師等の医療援助を開始する。沖縄の基幹作物である農業分野及び模範農場への技術援助、本土・沖縄マイクロ回線の設定援助など通信分野まで拡大されるようになり戦後復興は本格化していく。

2.米国の要求で財政援助開始

62年になると、沖縄を取り巻く国際環境に大きな変化が起こった。沖縄を統治している米国は日本政府に対し、沖縄統治経費の財政負担を日本政府に要求したのである。敗戦後、日本政府の沖縄に対する財政援助は放置されていた。このことは、わが国の財政史上類例がなく沖縄の戦後復興が遅れた大きな原因となった。沖縄は、米軍統治下の特殊事情から日本の財政援助から取り残され、本土との社会資本・生活基盤の格差、所得格差が生じる原因となった。

なぜ日本政府は、沖縄に財政援助を行ったのか? その根拠は1962年3月19日に発表された「ケネディ沖縄新政策」にある。沖縄新政策は、沖縄が日本の一部であることを認め、@沖縄住民の福祉向上及び沖縄の経済発展を増進する、A太平洋のキーストーンとして沖縄の米軍基地を重視する、B日米協力体制の強化で沖縄基地を安定的に保有する─ことが主な内容であるが、米国は沖縄統治の経済負担の一部を日本政府に求めたのである。

日本政府は米国の要求を受け、1962年9月13日「日本国政府の琉球政府に対する援助に関するアメリカ合衆国政府との協議に関してのわが方の方針に関する閣議了解」に基づき翌63年度から沖縄への財政援助を開始するようになった。この間、沖縄は米国民政府の財政援助に依存しながら戦後復興を果たしてきたのである。

日本政府は、日米協調路線を重視して沖縄に財政援助を決定したが、援助の内容は、@琉球政府(市町村を含む)の諸施策、事業等の水準を本土並みに引き上げ、住民の所得の向上に努める、A沖縄に日米琉諮問委員会を設置し、援助については沖縄住民の意思を反映して実施する─こと等を明らかにした。
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援護法適用拒否

シリーズ 「軍統治下の沖縄政策」(3)

1.<援護法適用拒否>
2.<日本国籍が条件>

1.援護法適用拒否

日本政府は、52年、4月30日に「戦傷者戦没者遺族等援護法」を公布し、4月1日に遡及して日本本土で適用した。同年7月1日に那覇に南連が設置されたが、同法の適用について、沖縄は即時適用から除外された。沖縄は我が国唯一の戦場となり、住民十数万人の尊い人命が奪われたが、日本政府は援護法適用に当たっては沖縄の戸籍未整備を理由に除外したのである。このような中で、人的被害、物的資源も失い戦後の荒廃のなかで、戦争未亡人、遺族が立ち上がり「全琉球遺族族連合会」が、援護法の即時適用を訴えたが、日本政府の心に届くことはなかった。

援護法案審議の52年3月22日「第13回・参議院予算委員会」における山下義信委員(社会党)は沖縄の援護法適用について質問したが、日本政府の対応は冷徹そのものであった。参議院予算委員会の議事内容を見てみよう。

山下義信委員:「今回の対象の中で、沖縄出身の戦死者あるいは樺太出身の戦死者など現在日本領土以外の形になっている地域の戦死者はどう処遇するのか。」
厚生大臣・吉武恵市:「沖縄の方々の遺族に対しては、沖縄はまだ日本の法律が適用されていないので、援護法は遺憾ながら適用できない」。

2.日本国籍が条件

援護法を適用するには日本国籍を有することを条件としていたのだ。援護事務に必要な沖縄の戸籍は、47年臨時戸籍取扱要綱により整備されていたが、援護法が公布された52年4月30日時点で沖縄住民の戸籍について日本国籍としての公証性が問題視され、援護法の適用から除外されていたのである。日本政府の見解は、沖縄は戦後日本の行政から切り離されていたので、直ちに援護法を適用するのは困難と判断したのだ。

廃墟と化した沖縄で、戦災で遺族を失った戦争未亡人、戦争孤児を救うために琉球政府は日本政府南方連絡事務所及び米国民政府に働きかけ、ようやく三者間で検討を行うことになった。

琉球政府は米国民政府(USCAR)と交渉し承認を取り付けた。これを受けて日本政府は53年3月26日、「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)に現存するものに対し、「戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用する場合の取り扱いについて」通達を出し、ようやく沖縄にも援護法を適用されるようになった。しかし、援護法がようやく沖縄に適用されたが遺族弔慰年金が給付されたのは法律制定から2年近く経過していた。

 
posted by ゆがふ沖縄 at 00:45| Comment(0) | 米軍統治下の沖縄政策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする