2011年11月22日

戦災で滅失した沖縄戸籍放棄

シリーズ 「軍統治下の沖縄政策」(2)

<戦災で滅失した沖縄戸籍放棄>

日本政府は沖縄県民の戸籍回復についても消極姿勢が見られた。沖縄は戦災でほとんどの戸籍が焼失したが、1946年9月19日、沖縄民政府は、終戦のとき住民動態と諸物資配給の基礎資料として各市町村長宛に「臨時戸籍事務取扱要綱」を発送し、臨時戸籍(仮戸籍)を作成するよう指導した。日本政府の対応は、本土に在住する沖縄出身者の戸籍について、48年9月30日、号外政令306号「沖縄関係事務整理に伴う戸籍、恩給等の特別措置に関する政令」を公布し、戸籍事務を福岡法務局の支局で取り扱うようになった。

沖縄に設置された国家機関「南連」は、戦災による滅失戸籍について琉球政府に「戸籍整備法」を制定するよう促したのである。戦争行為による戸籍回復は国の責任であるが、琉球政府は、南連の意向を受けて53年11月16日、自らの責任で「戸籍整備法」を制定し、戸籍回復作業に着手。敗戦から8年後、沖縄ではようやく戸籍回復の法律が制定されたのである。

戸籍整備に当たって各市町村では戸籍調査委員会を置き、各市町村長に対して申告させ、戸籍調査委員会の審査を経て、仮戸籍を整備して縦覧した。縦覧に対し異議の申し立てがないときに琉球政府法務局長に申報し、法務局長の具申に基づき行政主席が認定する仕組みを採った。

整備された戸籍の副本、申告書、届出書その他の証憑書類の保存管理事務を掌握するため54年9月1日、法務局支分部局として戸籍事務所が創設された。琉球政府法務局の資料によれば、沖縄戦で滅失した戸籍数は11万3,817。55年5月末時点で申告した臨時戸籍数は2万638。そのうち、証言等に基づき仮戸籍として確定するため調整していた戸籍はわずか1万9652であった。

市町村は戸籍回復に当たり、沖縄群島及び周辺島嶼のいずれかの市町村に本籍を有していた者に対して、54年3月31日から5月31日までの間に申告及び届け出を行わせたが、親、兄弟、親族などの証言に基づき新しい戸籍回復作業が行われた。

戦災による戸籍整備予算は国が全額負担すべきであるが、米軍統治下の特殊事情から琉球政府は独自の予算で戸籍を回復したのだ。

日本政府は琉球政府からの要請を受けようやく重い腰を上げ、59年度に初めて沖縄の戸籍回復経費(技術援助)を予算計上するようになった。予算内容は、沖縄全市町村の戸籍吏員を対象とした研修に本土から専門家派遣を行うための援助経費であった。


 

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日本政府の三つの大罪−軍統治下の沖縄政策

シリーズ 「米軍統治下の沖縄政策」−(1)

1.<連合国最高司令部覚書>
2.<沖縄に「南連設置」>
3.<国会は紛糾>

沖縄の歴史は差別の歴史だった。薩摩支配、琉球処分、米軍支配・・・。さらに「南連」による差別の歴史がある。「南連」とは意外に知られていないが、米軍統治下の沖縄に君臨した日本政府の出先機関のことである。

南連は連合国最高司令部の要請で沖縄米軍との連絡機関として1952年7月設置された。日本政府が施政権のない沖縄に国家機関を設置したことは極めて異例のことであるが、そこには構造的「沖縄差別」の真実があった。

1.連合国最高司令部覚書

連合国最高司令官は、1952年4月14日付で日本政府に「覚書」を出した。覚書は「琉球諸島における日本政府連絡事務所の設置に関する件」と記され、「琉球諸島への日本国民の渡航、琉球諸島在住者の日本への渡航を取り扱うため準領事館事務を遂行し、日本政府連絡事務所の設置」を求めた。

さらに「戦後処理問題として戦没者の遺骨処理、分断された本土・沖縄間の渡航、貿易情報、財政処分、通貨の兌換、日本との通信など沖縄の敗戦処理問題」を促した。

業務は、アメリカ合衆国管理当局の事前の許可を条件として行使せよ」と条件を付するとともに、「権限は、琉球諸島におけるアメリカ合衆国民政府に対し派遣されるものであり、琉球諸島住民に対しては、いかなる政治的、または行政的管理権を行使するものではない」と制限し、「職員は外交官または領事館の官称または外交官特権(免除権)を持たないものとする」と条件を付し、日本政府の見解を速やかにアメリカ合衆国政府に通報するように求めた。

2.沖縄に「南連設置」

覚書を受け、日本国政府は52年6月25日、「外務省回答・上書」を返信する。上書という表現は、敗戦国が上位に対する「書簡」を意味する。日本政府は早速「外務省回答・上書」の回答を返信した。

「上書 日本国外務省は、在本邦アメリカ大使館に敬意を表すとともに、アメリカ合衆国政府が日本国連絡事務所を琉球諸島に設置するよう招請する1952年4月14日付同省宛連合国最高司令官総司令部覚書を受領し、右に関して那覇日本政府連絡事務所を沖縄那覇に、同事務所出張所を奄美大島名瀬に設置することを決定した旨を通報するの光栄を有する。同事務所及び出張所は本年7月上旬に設置される予定であるが、右設置に関し、アメリカ合衆国政府関係当局の格別の協力を希望する。」と快諾する。

本土から分断された沖縄に日本政府は、連合国最高司令部の意向を受けて国の出先機関を設置することになる。


3.国会は紛糾

連合国最高司令官の「覚書」を受けて日本政府は52年6月30日、総理府の付属機関として「南方連絡事務局設置法」を立法する。南連の管轄は、米軍が占領している硫黄鳥島及び伊平屋島ならびに北緯27度以南の南西諸島との連絡事務を目的とした。

事務内容は、
 @本邦と南方地域との間の渡航に関する事務、
 A南方地域に滞在する日本国民の保護に関する事務、
 B本邦と南方地域にわたる身分関係事項、
   その他の事実について公の証明文書の作成、
 C本邦と南方地域との間において解決を要する事項を調査し、
   連絡しあっ旋し、及び処理すること、
 D本邦と南方地域との間の貿易、文化交流─に限定された。

沖縄現地には、52年7月1日、「日本政府那覇南方連絡事務所」が設置され、琉球列島米国民政府(USCAR)との連絡業務が開始されるようになった。

南連事務所の設置をめぐり、国会は紛糾した。54年2月17日、衆議院外務委員会は、「南方連絡事務所の性格について」米国民政府との法律的な関連について政府答弁を求めたからだ。

日本政府は「南連事務所はアメリカに対する関係上、実質的には領事館のような仕事であるが事務所職員は領事館と同じような資格は認められていない」と答弁。

南連の機能は「琉球住民に関しては、行政事務の一端としての調査統計、その他の陳情を受ける権限などはない」として「沖縄は日本政府の行政の対象外である」との認識を示したからだ。さらに「本土国籍を持っている人は、保護機能があり、不法逮捕、拘留された場合には米合衆国の機関と協議することができる」が「琉球住民に対して米軍から弾圧、不当な取り扱いなどがあった場合には、日本政府はこれを取り上げて米国民政府と交渉する機能は与えられていない」という沖縄差別発言も見られた。

日本政府は、沖縄県民の人権は行政の対象外との認識を示したからだ。

posted by ゆがふ沖縄 at 00:22| Comment(0) | 米軍統治下の沖縄政策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする