2016年11月15日

土人発言の本質(3)

土人発言の本質(3)
「自治は神話である」

今回はキャラウェイ発言を取り上げる。
米軍支配下の沖縄に君臨したキャラウェイ高等弁務官は、絶対的権力をバックに軍参謀的手法で直接統治、布令政治に乗り出した。

金門クラブ会員を対象に演説で沖縄の自治は「神話」であると発言し、「キャラウェイ旋風」を巻き起こし沖縄住民を恐怖に陥れた。

金門クラブとは米陸軍省後援による米国留学を経験した人たちの親睦団体である。初期の留学生たちは、軍輸送船で金門橋(ゴールデン・ゲート)をくぐったので、これにちなんで命名された。1947年7月にスタートし、施政権が返還された1972年までに支給された米留学奨学資金件数は1,110件、そのうち、博士号取得者は28人、修士号262人、学士号155人。

キャラエェイは1963年3月5日、ハーバービュークラブで演説した。金門クラブのメンバーに「自治は神話である」と促し、琉球住民の間でこれまで信じられている多くの神話を払拭するため、諸君の才能や説得力を活用せよと話した。君たちは琉球列島の指導者だと語った。米国民政府がカネを出して米国留学させた同志である。

琉球において自治とは何を意味し、また何を包含し、あるいは何を暗示しているかについて全般的に理解されていないと持論を展開した。

インドスタンの5人の盲人に1頭の象を吟味させ、象とはどのようなものであるか例示した。

象のしっぽを偶然つかんだ盲人は「象とは網のようなものである」といい、もう1人は象の太い足にふれて「象とは木のようなものである」といった。

3番目の盲人は、たまたま象の腹のところへ歩いて行って突き当り、「象とは壁のようなものである」といった。

キャラウェイは「自治」に対してもこれと同様だと語った。「自治」とは、自治政府を意味している。この定義を論理的に結論づければ、琉球列島における自治論者は、外部からいかなる抑制を一切受けない自治政府のことだ。これはとりもなおさず独立国家を意味する。

琉球住民は、独立国家を主張しているのであろうか。もし、ある人間が新聞で読むものや住民の代弁者だと自称する人々の言葉をそのまま信じるならば、自治の真の意味は著しく誤解されるであろう。

政治とは実際的な問題を処理していくことであって空想的な話や圧力団体がスローガンを叫ぶことではないのだ。

政治というものは可能なものを行う芸術であり、琉球において可能なことは、自治とはかなりかけ離れたものである。琉球列島においては、ある段階の政府から他の段階の政府に対して行われる責任の委任が存在するだけである。

もし私たちが事実を直視するならば、琉球においても、また行政上一区分を構成するいかなる地域においても自治政府はあり得ないという結論に到達した。

対日平和条約第3条で規定されているように、米国民政府の下で自治政府があり得ないと同様、1州、1省あるいは1県の場合でもそれは不可能である。

現在時点で沖縄において自治政府は架空のものであり、実在しないのである。そして、琉球の住民である諸君の自由意思で再び独立国家となる決定を下さない限り、将来においても自治は存在しないであろう。

キャラウェイは「植民地に自治はない」と断言したのである。


posted by ゆがふ沖縄 at 00:24| 米軍基地・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月14日

土人発言の本質(2)

土人発言の本質(2)
「沖縄を甘やかすな」から「土人発言」まで
  
土人発言の本質について『琉球新報』論壇に投稿したら封印された。ブログで書いたら数人からメールが届いた。その中に旧総理府(現内閣府)職員からの意見があった。件(くだん)の職員は米軍政下で沖縄復帰対策を手掛け、引退後の現在も老木に一輪の花が咲くように沖縄への関心を注ぐ。

県内の識者から「新聞人としての姿勢が問われる」という意見もあった。沖縄県民が「土人」と呼ばれたら県民が怒るのは当たり前のことである。

沖縄復帰対策に携わっていたころ、日本官僚から「沖縄を甘やかすな」という言葉に出くわせたことがある。

今回の投稿で「日本政府南連」では琉球住民を「原住民」と呼ぶ発言が飛び出したことも指摘したが担当者が封印してしまったのだ。

日本政府沖縄事務所長・岸昌さんが沖縄に赴任した時の発言がある。
『ここは沖縄か? 違う米国の植民地だ』・・・岸さんが沖縄の現実を嘆いた言葉だ。

岸さんは私の上司であった。本土・沖縄一体化路線を検討していたころ、『沖縄を甘やかすな』という言葉が飛び出したとき、岸さんは本土官僚を喝破した。沖縄タイムス論壇に投稿し「復帰準備の精神」を問うた。

『復帰対策は沖縄の歴史に償うことだよ』『復帰とは本土と沖縄が差別のない一体化である』・・・岸さんの言葉である。差別は残っている。

真実を見た者は伝えるものでなければならない。琉球新報「論壇」に投稿した趣旨は、日本政府内部から「原住民」発言があったことを知らせる必要があったからだ。認識に疑問符が付く新聞人がいることは嘆かわしい。

復帰から45年・・・土人発言で県民の尊厳を傷つける発言が社会に可視化された。11月12日付の朝日新聞は『鶴保沖縄相 担当閣僚の資格を疑う』の社説を掲げた。11月13日付の沖縄タイムスは社説で『鶴保氏放言』を取り上げた。朝日新聞と沖縄タイムスの論調に共感するのは、品格を失った政治家に直言するメッセージ力である。

* * *
朝日新聞社説を掲げる。沖縄県民に読んでほしいと思っているからである。(引用をお許し願いたい)

2012年11月12日付 朝日新聞社説
鶴保沖縄相 担当閣僚の資格を疑う

沖縄を担当する閣僚としての資格があるのか。そんな疑念を抱かざるを得ない発言を鶴保庸介沖縄・北方相が続けている。

沖縄県の米軍北部訓練場の工事現場近くで、大阪府警の機動隊員が、抗議活動をしていた人に「ぼけ、土人が」などと言い放った問題についてだ。

先月の記者会見では「県民感情を損ねているかどうかについて、しっかり虚心坦懐(きょしんたんかい)に、つぶさに見ていかないといけないのではないか」と述べた。

さらに今週の参院内閣委員会では「『土人である』と言うことが差別であると断じることは到底できない」と答弁した。

まったく理解できない。
かつて国会で「土人」が論じられたことがある。アイヌ民族を対象にした「北海道旧土人保護法」が1997年に廃止される前のことだ。

法律の名称そのものが差別ではないか。そう問われた自民党の厚生相は「差別的な響き」だと認め、「現在の社会通念に照らして適当ではない」と明快に答えていた。

今回も大阪府警は「軽率で不適切な発言で警察の信用を失墜させた」として機動隊員を処分した。菅官房長官は「発言は許すまじきこと」と指摘。金田法相も「土人発言」は、「不当な差別的言動」だとの認識を示している。これらを鶴保氏はどう受け止めるのか。

鶴保氏は内閣委で「現在、差別用語とされるようなものでも、過去には流布していたものも歴史的にはたくさんある」とも語った。
これも意味不明だ。
すべての差別用語はかつて多くの人々が口にしていた。そこに相手を侮蔑する意味合いが込められたから、言葉を受けた側が傷つき不快感を示した。その積み重ねで徐々に使われなくなってきたのだ。

鶴保氏は米軍普天間飛行場の辺野古移設計画をめぐる政府と沖縄県の訴訟について「注文はたった一つ、早く片づけてほしいということに尽きる」と語ったり、沖縄出身の自民党衆院議員のパーティーで、選挙結果と政府の沖縄振興策が「リンクしています」と述べたりした。

明治以来、政府は沖縄に差別と苦難の歴史を強い、いま、沖縄の民意に反する辺野古移設に突き進む。政府と県の対立を解きほぐす任に当たるべき閣僚の言動が、両者の溝をいっそう深めている現実は看過できない。

「沖縄相 ならば『土人』と呼べますか」
この今週の「朝日川柳」の一句に鶴保氏はどう答えるのか。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:03| 米軍基地・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月11日

「土人」発言の本質(1)

北部訓練場のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)建設工事の警備に本土から500名の機動隊が導入された。大阪府警の機動隊員が、沖縄県民に「土人」「シナ人」と暴言を吐いた。機動隊員は「どこつかんどんじゃボケ。土人が」と発言した。「シナ人」とも呼んだ。

看過できないと思い、琉球新報論壇に投稿した。担当者が封印し掲載されることはなかった。島尻安伊子氏が沖縄担当大臣に就任した際に、公約違反を指摘したら、担当者が封印したこともある。政治家批判は取り上げないようである。native(ネイティブ)発言に「蓋(ふた)」をしたのである。ジャーナリストの作法を疑わざるを得ない。封印された「土人発言の本質」の投稿原稿をブログに掲載する。

■ ■ ■
「土人」発言の本質(1)
松井大阪府知事の人権感覚を疑う
   
大阪府警機動隊員の「土人」「シナ人」発言に対し、大阪府の松井一郎知事がツイッターで「一生懸命、命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」と書き込んだ。沖縄の尊厳を否定する構造的沖縄差別の活断層と見るべきだろう。

土人とは、その土地に土着する人間のこと。英語のnative(ネイティブ)で野蛮、未開の生活形態を残す先住民族を指す(ウィキペディア)。

「土人」「シナ人」は差別用語であり、松井知事の人権感覚は見るに堪えない低レベルである。

沖縄は日本政府からも差別を受けてきた。日本政府南方連絡事務所は琉球住民を「原住民」と呼び、「在外勤務地手当」で差別していた。差別は政治的差別、社会的差別、経済的差別に分類されるが、@沖縄分断、A援護法の適用除外、B17年間見捨てられた財政援助─が米軍政下の沖縄差別の事例である。

1954年2月17日、衆議院外務委員会の議事録に驚愕すべき差別発言がある。石井通則南方連絡事務局長は「本土国籍の邦人に関しては保護の機能が与えられていて、不法に逮捕されたり拘留されたりするような場合は米国と協議できるが、琉球に戸籍を持つ琉球住民に対する弾圧や不当な取り扱いは、陳情があっても米民政府と交渉する権能は与えられていない」との見解を示した。

沖縄差別は今も活断層のように残っている。「土人」「シナ人」発言を擁護する松井大阪府知事の人権感覚もその事例である。松井氏は表現が不適切としても、府警の警官が一生懸命、職務を遂行していると「差別」発言を擁護しているが、政治家の品格と資質が疑われる。

心のボルテージが低い松井知事への批判がネットで拡散している。土人発言を擁護? なにが「出張ご苦労様」なの? 大阪のイメージダウンだ─品性、資質を疑問視する意見だ。

10月21日に松井知事は、「機動隊勤務ご苦労様だというのは当然だ」と持論を再度展開。「出張ご苦労様」と警察官をねぎらう発言内容を撤回しないと述べた。政治家の言葉は社会に可視化される。

理不尽な米軍基地建設と機動隊の対峙。悪いのは、だれなのか。トンデモナイ、浅薄な歴史理解だ。差別発言の断罪は免れまい。政治家としての「美学」「矜持」が問われている。
posted by ゆがふ沖縄 at 00:01| 米軍基地・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする